恵曇・古浦の郷愁風景

島根県鹿島町 【漁村】 地図  <松江市>
町並度 4 非俗化度 8 −佐陀川の開削により発展を見た県内随一の漁港−
 




佐陀川河口より 左恵曇地区 右古浦地区 恵曇地区の町並
 島根半島の北岸、日本海に面して恵曇(えとも)・古浦の集落が開ける。佐陀川の河口に位置し、島根半島としては珍しく日本海に向けて平地の広がりがある。
 恵曇は県東部の漁業中心地であり、本格的な漁港が立地している。県内では浜田港に次ぐ漁獲高を誇っている。
 佐陀川を挟んで東岸の恵曇は生粋の漁村、西岸の古浦は漁村及び製塩業の盛んな土地として古くから息づいてきた。「出雲国風土記」に恵曇郷という文字が見えるほど恵曇は深い歴史に根ざしている。古浦の塩は御用塩として藩に上納されていた。
 江戸中期の天明期、佐陀川は宍道湖とつながった。当時にとっては大土木工事で、清原太兵衛という人が中心となって3年の歳月をかけて開削工事を行い、それは宍道湖の治水のほか松江城下の物流にも大いに貢献した。河口に位置する恵曇は本格的な発展をみることとなり、城下の外港的な役割も帯びていた。明治に入っても年間の入船数400隻を超えており(明治5年・地元船は除く)、宍道湖に向けて大型船も遡上していたという。漁港としても整備され、一大港湾基地として発展した。
 また佐陀川を使って、松江市街に魚介類の行商に向う商売人も多かったようで、佐陀川が消費地松江との距離を短縮し、この町の発展に大きく貢献したことは間違いない。
 
 



恵曇地区の町並



恵曇地区の町並




古浦地区の町並



古浦地区の町並


 両町とも伝統的な建築が連続した風景は少ない。しかし漁村・漁師町らしい路地の交錯が支配し、路地歩きの楽しさがある。恵曇を中心に商家風の建物や広い敷地を塀で囲んだ邸宅が散見され、裕福な集落であったことがわかる。
 一方で古浦地区では比較的規則的に街路が計画され、町の風景としてはやや味気ないものであったが、海岸に近い付近には木造の漁家建築の連なる一角があり、それらが軒並赤瓦を葺いていることで風情ある町並風景が展開していた。
  
訪問日:2010.05.04 TOP 町並INDEX