越中大門の郷愁風景

富山県大門町<商業町> 地図  <射水市>
 
町並度 4 非俗化度 7 −庄川右岸に町場が発達した−





 
大門新の町並 銅板に前面を覆われた特徴ある建物も見られる


 高岡市と庄川を挟み隣接する大門町。江戸時代は加賀藩の統治下にあって、藩は低平な土地の中小河川を大規模に改修し、周囲11ヶ村を灌漑する「十一ヶ用水」を開設した。
 一方、庄川本流も承応元(1652)年の大洪水をきっかけに、農民救済のため大門村から大門新町が分立・町立てされた。これが現在の町中心部の始まりと言える。町立て後には高岡から小杉に向けて新道が建設され、その後は北陸街道の本筋として参勤交代時等にも使われるようになった。
 この付近には17世紀初めには既に渡船があり、元和2(1646)年には橋が架かった。大洪水後は河川の流れが変わり、旧橋の倍の橋長を持つ立派な橋が架橋された。高岡からすると川向う、橋向うの町場ということで、大きく賑わった。
 現在もその名残が大門大橋から続く県道の北側の筋に見られる。今では高い堤防で遮られているものの、かつてはこの筋に橋があり、たもとからすぐに家並が始まっていたものと思われる。この地方に多い軒の深い建物は少なく、一階から垂直に立上ったような外観の建物が目立つ。前面を銅板に葺かれた建物も散見され、そのような外観の医院建築もあった。東京の非戦災地区で見られるものとの類似を感じた。ある一時期に一斉に更新され建てられたように思える家並であった。一方で、脇道には大柄な見応えのある建物も見られた。ここは表通りとは表情が異なり、黒屋根の立派な玄関棟を持つものもあった。
 
 




大門新の町並(横路地) 大門の町並




 この地区から500mほど南、二口という地区の南北の筋にも古い町並が見られる。家並の風情から、橋のたもとの町並とは直接の関連は無さそうに思える。推測に過ぎないが、北陸街道の旧筋から先に書いた本筋とを結ぶ街路だったのかもしれない。大きな立上りの二階妻部に真壁の木組模様が浮き出て厳かさを感じさせる旧家などが見られる。町並の北部には誓光寺が格式ある構えを見せ、この寺の門前集落的であった可能性もある。
 大門の町並  
 

 

 二口の町並 

訪問日:2023.07.17 TOP 町並INDEX