藤井の郷愁風景

岡山市藤井<宿場町> 地図 
町並度 4 非俗化度 8  −山陽道の宿場町−






 




藤井の町並
 
 

 藤井は山陽道の沿道に開ける集落で、岡山城下から東に向って最初に宿駅として定められていた所であった。現在は岡山市の東部、山陽本線と山陽新幹線が近くを通っている。
 大名をはじめ諸国の要人は、参勤交代の折などに城下に泊地を求めることは一般に避けられてきたため、この藤井宿はたいそう発展した。本陣は2箇所あり、それぞれ東の本陣、西の本陣と呼ばれていた。そのうち西の本陣は周囲を土塀で囲われた姿で一部が残っており、威厳を感じさせる。この西の本陣のみでは赤穂藩士の宿泊時などにおいて余りに狭隘であったため、大通行時の宿泊能力を高めるために後に設置されたもののようだ。
 『上道郡誌』では、「維新前迄は諸大名参勤交代の宿営地にて、戸数百を超ゆ。各家は殆ど宿屋を以て本業とせり。其の主なる者は大松屋江戸屋丸屋角屋にして今に屋号のみを残す」とある。
 たたずまいは宿場町というより武家町、あるいは農村集落を連想させるものであった。各家は間口が広く、前庭を持ったものが多い。ゆったりとした敷地割は鰻の寝床のような都市型の町並とは印象が随分と異なったものだ。そして邸宅群は入母屋の屋根を持ち、海鼠壁を多用したこの地方に特徴的な外観を示していた。古い町家建築はそれほど多くは残っていないが、街路はほぼ一直線であることからも、非常に開放的な町並景観となっていた。
 



本陣跡に残る土塀

訪問日:2005.05.04 TOP 町並INDEX