藤戸・天城の郷愁風景

岡山県倉敷市<陣屋町・街道集落> 地図
 
町並度 6 非俗化度 7  −源平合戦ゆかりの史蹟が至るところに残る町−







藤戸町天城の町並 手前の土壁の家は昭和を感じさせる荒物屋で陳列されている品物に懐かしさを感じました。




この道は金毘羅への参道でした。 町家の連なる天城教会の裏通り


長屋門を従えた邸も点在し、陣屋町であったことを示しているようです。

 倉敷市藤戸と言っても地元の方以外知る人も少ない。美観地区などの中心部から5キロほどの距離にありながら、家並はひっそりとしている。
 ここは平家物語にも記される源平合戦の地であったと言われる。当時はこの周辺は小さな島の浮かぶ海であった。ここで源平両軍対峙し、闘いを繰り広げた所として知られる。
 当時、藤戸寺などのある藤戸地区と、対岸の天城地区を隔てていた海峡は、上流からの土砂の堆積により次第に干潟化し、陸続きになった。美観地区から続く倉敷川は、かつて海峡の最深部であったところで、双方に見える小高い丘がかつての島を思わせる。
 古い町並が残っているのは主に左岸側の天城地区である。今では倉敷市藤戸町の一部となっていて天城という地名の影も薄くなったが、元和の一国一城令により下津井城が廃城となり、当時の家老だった池田由成は同じ岡山藩領の当地に居館を構え、陣屋町を形成した。以後、藤戸と天城は川港として栄えていった。現在川筋の一本東側などにみられる町家群は、繰綿などの問屋の名残だろうか。対岸の藤戸町とともに商港として江戸末期にかけてかなりの賑わいを見せていたようである。このような知識を持たずとも、周囲の田園地帯に広がる郊外の住宅地に対し、古くからの歴史に根ざした集落であることは誰でも感ずるところである。
 ここは後になり金毘羅への参詣道が通過することになり、街道集落的な性格もあったといわれる。今でも舗装に下半分を隠された道標が多く残ることからも、人の往来が多かったであろうことがわかる。町並の中心にある天城キリスト教会は県内で2番目に古い洋風建築。また周辺には陣屋町の面影を残す長屋門を構えた屋敷、土塀の残る民家等も見られ、近郊住宅地へと変わって行く中で古い姿を残していた。
 


訪問日:2001.11.23
(2003.02.23再取材)
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