富士吉田の郷愁風景

山梨県富士吉田市【信仰町・門前町】 地図 
 
町並度 4 非俗化度 7  −富士信仰の拠点−


 富士吉田市は県の南東部の通称富士五湖地方に属し、南に富士山を仰ぎ見る観光客の訪れも途絶えない町である。
 この町は富士山信仰とともに歩んできたといってもよい。
 中世から富士山は信仰の対象とされ、各地から登山客、参拝客を集めてきた。古くは上吉田・下吉田に分離しており、特に上吉田に信仰町としての性格が強く見られる。
上吉田2丁目の町並 この「金鳥居」から先が神域となる
 

 
 富士浅間神社の門前町というのがこの上吉田の町並の歴史をもっとも正確に言い表す言葉だろうが、この浅間
(一般にセンゲンと発音する)神社と名のつく神社が富士山を要に全国各地に数多くある。これはいわゆる「富士講」を仲立ちに建てられたもので、各地からの富士信仰に支えられていた。この上吉田の浅間神社は特に「北口本宮」と呼ばれている。世界遺産にも登録されている神社である。
 門前町には富士講による全国各地からの登山者を迎え入れるための宿駅的な役割と、「御師」とよばれる一宗教でもあった富士信仰を広める役割を持つ者も多く居を構えていた。御師の多くは宿坊を経営しており、江戸時代には86軒を数えたという記録もある。
 その門前の町並の名残が、「富士みち」と呼ばれる南北の道に残る。国道139号線の一部ともなっており、一直線の坂道の向こうに富士の荘厳な姿を望む。巨大な鋼製の鳥居が鎮座しており、この「金鳥居」から南が神域とされ御師が住まい宿坊が建ち並んだ地区だった。
 鳥居の大きさからも、当時から悠々とした2車線相当の幅員があったのだろう。富士に向けてまっすぐ伸びる上り坂というのが、また旅人に目的地を目前とした高揚感を抱かせていたことだろう。両側には連続した箇所は少ないが伝統的な建物も散見される。多くは現代になってからの商家の建物と思われるが、一部にはもと御師だった邸宅も残っている。それらは大変深い奥行を持ち、母屋が街道から控えた位置にあるため一見では判りづらい。
 街道沿いの所々には、宿坊街や御師に対する説明看板もあった。地味ながら富士信仰の拠点の一つとして賑わった歴史を感じることができる貴重な町並である。
 
 
 




中曽根1丁目の町並 上吉田4丁目の町並




上吉田4丁目の町並



上吉田5丁目のもと御師家とされる邸宅

訪問日:2015.05.02 TOP 町並INDEX