深日・淡輪の郷愁風景

大阪府岬町【漁村・港町】 地図(深日) 地図(淡輪)
 町並度 4 非俗化度 6  −泉南随一の行楽地・港町として発展した−



 
 府の最南端、岬町は大阪湾に面して漁村が点在し、南は和泉山地を挟み和歌山県に接する。
 中心地である深日地区は古くは吹飯・吹井とも称され、『平家物語』では「和泉国吹井浦」と記されている。江戸時代は最初幕府領で貞享元(1684)年からは常陸土浦藩主であった土屋氏の領地となっていた。入江を持ち漁港が発達し、漁業が主体である一方和泉山脈の麓にあたる孝子村を初めとした山間部も後背地に持ち、紀州側の村々とを併せてひとつの地域を形成していた。明治12年では人口1500名余りを有し和船105隻とある。
 
深日の漁港風景   
 



 
 



 
深日の町並 


 港としても淡路島や徳島への客船が就航し、府内の一大港として発展していたが現在は和歌山側の加太港などに移り衰退した。
 古びた小柄な駅舎が印象的な南海電鉄の深日町駅から北に向うと面的に住宅地が展開している。そのまま海岸まで達すると現在でも漁船が多く舫われているが、町並の様子は漁村と農村が混在したような趣であった。本瓦葺の屋根も散見され、また一部には入母屋の堂々たる外観を残すものもあった。それらが所々に土蔵を従えながら連なっていた。小路は秩序なく迷路状となり、土塀や板塀などに囲われた姿も目立った。
 一方町の北部に位置する淡輪地区も深日地区と似た歴史経過を辿った所だ。中世には淡輪荘という荘園が置かれ、江戸期の領地の変遷も同様である。特筆されるのは明治33年の南海電鉄開通時に観光地として開発された歴史を持つことで、駅近くの愛宕山に遊園地や旅館などが立地し、海水浴や魚釣などとともに売り込まれた。戦前には淡路島への連絡線もあり、料理屋や旅館も多く泉南一の観光地として賑わいを見せた。
 淡輪の町は、駅付近の比較的新しい町並と漁港付近に開ける昔ながらの集落部分で異なった表情を見せていた。深日も同様だが比較的平地の広がりが大きく、密集した漁村集落というよりは伝統的な住宅地と云った印象が強い。付近はヨットハーバーなどもあり、現在も観光の拠点であるようだ。
 



 
 



 
 淡輪の町並 
   
         

訪問日:2022.11.19 TOP 町並INDEX