吹屋の郷愁風景

岡山県成羽町<産業町> 地図 <高梁市>
 
町並度 9 非俗化度 3  −銅と紅柄で栄えた家並−









周囲から隔絶された尾根上に展開 またその景観も極めて特徴的な吹屋の町並


 ここ吹屋は、町並が出現するところとしては実に意外性に富んでいるといえる。ここは、周囲の集落と隔たった台地上に位置し、「こんな山奥に町並が・・」とまさに息を呑む思いを、町並に入った瞬間抱かせる。
 吹屋は銅山に起源をもつ集落である。やがて江戸時代末期からは、副産物である顔料「紅殻(弁柄)」の全国有数の産地となり、現在残る町並が、どことなく赤銅色をしているのも、壁などにその紅殻を織り交ぜているからである。染料として有田焼の赤絵などにも使われてきた。江戸末期には幕府の直轄領となり、代官が治める土地となった。




下谷の町並 中心から少し離れた谷間に展開し 大柄な商家も目立つ


 町並は中町から下町までを中心として緩やかな勾配をなした街路沿いに展開し、この地区はある程度統一した規模の町家が続いている。家々は石見の大工により普請されたと言われる。中二階部の虫籠窓が見られる家は中町の仲田家だけであったが、妻入りで格子をはめた数軒の家は出雲平田の商家を思わせ、一方で瓦は大半が赤瓦で、山陰とのつながりを感じさせる。紅殻色の格子や壁とともに赤い色彩が目立ち、町並景観を一層特徴深いものにしている。これはこの町が、山陰と山陽を結ぶ物資の中継地ともなり、文化の交流も多かったことを証明している。特に妻入り家屋が目立つことは、この地域には珍しくその特徴が感じられる。
 明治期の吹屋の写真を見ると、街路には馬がひしめくように繋がれ、銅や紅殻が各地に搬出されていたことがわかる。仲田家などの土台には今でも馬をつないでいた丸い金具が残っている。その他紅殻の窯元を務めた旧家、副業として醤油屋、宿屋を営んでいた町家など、山上の集落は現在とは比較にならぬ一個の本格的な町を形成していたのである。
 この町並だけでなく、近在する笹畝坑道・ベンガラ館に足を伸ばすことは、吹屋に対して抱く、何故こんな山中にこのような町並が展開したか、という疑問を解決してくれる。笹畝坑道は、かつての銅山を一般公開しているところ。ヘルメットを被って内部に入ると、当時の作業の様子が人形を使って再現されていて、その一端を知ることができる。それは、まさに一端なのであって、この坑道より続く吉岡銅山は、地表下400メートル近くに達し、メインとなる竪坑、そこから枝分かれして採掘場まで至る坑道が9本掘られていた。機械化されていない当時に想像を絶する技である。ベンガラ館は、ローハと呼ばれる原料から大雑把に言って釜場、水洗い、脱酸、乾燥という紅殻製造工程が再現される。
 紅殻の富豪広兼家は2,581m2の敷地を有し、長屋門、門番・不寝番部屋、母屋、離れ、土蔵3棟、厩舎、下男下女部屋を備え、中庭には水琴窟がある。山裾に構えられ下から見るとさながら山城のような超豪邸である。




(2003年8月撮影)

砦のような広兼邸(2000年8月撮影)


※注記のある画像以外は2010年10月撮影

訪問日:1998.12
(以後複数回取材)
TOP 町並INDEX