福光の郷愁風景

富山県福光町<商業町(在郷町)> 地図 <南砺市>
町並度 6 非俗化度 10 
−加賀に近い土地 金沢との取引で繁栄した砺波平野西部の物資集散地−




県道の一本東側の新町通には町家建築がある程度まとまって残る。


 富山県西部にある福光町。町域の北部の小矢部川流域は独特の散居集落が広がり、砺波平野の風物詩をかもし出している。町場は小矢部川左岸の微高地にあり、河岸段丘を拓いて作られたものと思われる。
 この町は金沢と意外に近い距離にある。県境の低い峠を越えれば約20km余、県内で最も金沢に近い町といえる。従って加賀の影響を常に強く受けて来た。南砺地方(砺波平野南部)一帯の米は年貢米としてここに一旦収容された後、金沢に輸送されたし、更に南部の五箇山一帯で生産が盛んだった塩硝(火縄銃用の火薬)などもここを経由していった。南砺地域においては、この福光が金沢との取引の上で関所のような位置を占めていた。峠付近に三軒茶屋という地名が残っているのも、この往来がいかに賑っていたかを示している。
 この街道を通して金沢の文人や学者などの訪れも多かったため、礪波地域では最も文化的に進んだ町であった。
 そして商取引の要地であることから土着の商家も大成するものが増え、豪商も数多く誕生したという。特に布製品や生糸は福光自らも生産が盛んであり、各地からの集積も含め一大集散地となった。金沢のみならず上方や江戸などにも販路を拡大し、幕末には金沢の外港・金石(かないわ)の海運業者と多額の取引を行うなど、大きな利益を得たという。




新町通の町並





小矢部川の段丘上に町が作られたらしく、東西方向の路地は坂道となって雰囲気ある風景を形成していた。 観音町の町並
 

 
 南北に走るこの町のメイン道路・県道10号線沿いがかつての町並の中心と思われたが、商店街となっていて面影が失われているのが惜しまれる。しかしこの県道と小矢部川の間には、細い路地が幾筋も南北に走り、かつての繁栄を伺わせる古い町並が残っていた。北陸の都市型の町並に典型的な、平入り、両端の袖壁、出桁の町家がある程度のまとまりを見せて残る。端正に作られた格子や軒庇部の幕板など町家の表情も豊かで、狭い街路上に展開するため迫り来るような迫力が感じられる。路地は県道と小矢部川との間に数本あるが、川を離れる毎に少しづつ土地が高くなっていて、それらを結ぶ横路地は坂道となり、片側は石垣で嵩上げされているのも面白い。
 市街地の北部は一部にかつて遊郭であっただろう名残も感じられ、繁華な町場だったことが想像できる。この町は維新後も金沢に近いことから人力車やガス灯、写真など近代文明が県下で最も早く導入され、製糸産業も受継がれ近代技術を導入して戦前まで続き、海外に輸出されていた。今見る町並はそれらの名残なのだろう。
 表通りを見ると古い町の匂いすら感じられないが、路地には濃厚に漂う。見たところそれらは全く保存や活用がなされていない状況で、この入りこんだ地区が開発されると一気に古い町並が失われてしまうだろう。これから意識されても決して遅くない。間違った開発はしてほしくないものだ。
 


訪問日:2005.10.10 TOP 町並INDEX