福住の街道風景

兵庫県篠山町<宿場町> 地図 <篠山市>
 町並度 6 非俗化度 9 −篠山城下と京都を結ぶ街道の宿駅−




 丹波地方南部の篠山盆地は気候が冷涼なために沃野が広がっている割には自給自足的な零細な農家が多かったそうである。関ヶ原の乱後突貫工事で建設された篠山城は西国大名を押える位置にあったことから重要な位置付けをされ、藩主が幕府の要職に就くことも多く出費も多かったことから藩民の生活は必ずしも裕福なものではなかったといわれている。しかしこの福住地区に残る家々は貧しい農村の佇まいではない。構えが大きく、古い家々と美しい格子などが現在でも良く保存されている。
篠山市福住の町並




妻入りの旧家が多くを占め、丹波地方らしい味わいの町並風景が多く見られます。


 篠山城下から京都へ向う街道は篠山街道(丹波側では京街道)と呼ばれ、西は播磨姫路へ達していた。この福住は城下の東側三里に位置する街道上の集落で、要人も頻繁に往来することから宿駅として本陣・脇本陣も置かれ、藩の米蔵も存在していたという。現在でも二つの国道の交差する位置であり、交通上の節点となっている。
 国道は旧街道の北に新たに建設されたため、旧宿場町は南側にそのまま封印された。福知山線や山陰本線の沿線から離れており宅地開発されなかったことも、古い町並が残るには好都合であったのだろう。
 旧道には丹波地方に特有の妻入り旧家が多く残っていた。その規模は篠山城下の河原町商家群などよりむしろ大きいとも感じられた。敷地に余裕があるためか間口は広く、また街路も比較的幅が広いため開放的な印象を受ける町並である。
 町並の一角には街道松と一里塚の跡が残り、ここが藩政時代に主要道であったことを示していた。
 国道を走る車からは通過点にもならず、人口の減少もあって集落内を歩く人の姿もほとんどない。増して古い町並としては全く知られることもなく、訪問者に対して設置されているのは一里塚跡の案内板のみであった。







訪問日:2004.08.14 TOP 町並INDEX