伏木の郷愁風景

富山県高岡市 【港町】 地図
町並度 4 非俗化度 6 −越中を代表する港町であった−




伏木中央町の町並
 伏木はかつて越中国府の港として古代より開かれていた大変歴史の古いところで、江戸初期の慶長期に佐渡への表玄関として藩から通航を許可されたこともあり本格的な港町としての発展をみた。背後に大商業町高岡を控えていたこともそれを後押しした。海運関係の取引人なども集結してきて、問屋や倉庫が密集するようになった。
 江戸期を通して廻船業が町の基幹業であった。それは年貢米の積出、大坂や江戸への回漕、特に北前船による商取引が大きかった。船宿なども多く出来、歓楽街もあり賑った。
 幕末の安政期には入津船舶数年間2,000余、出津同8,000弱との記録があり、2,300人あまりの人口を有する町場であった。
 現在は小矢部川河口付近を中心として大規模に工業地化されている。高岡から分岐するJR氷見線に乗っても、伏木の手前あたりでは工場の敷地内を走っているように錯覚するほどである。しかし、それ以前の面影は色濃いものではなかったが、随所に歴史を感じさせた。
 伏木中央町付近にはわずかに町家建築が残る。商業地ではあるが所々に切妻平入り、真壁の2階部と袖壁、1階部の出格子といったこの地方に標準的な外観であった。もう少し残っていれば古い町並として評価も出来るのであるが、ここまで更新が進んでいれば致し方が無い。個の建物レベルでの保存活動を期待したい。





湊町には洋風の建築群が残る




伏木北前船資料館 奥に望楼が見える


 むしろ特徴的なのはそれより河口に近い港町エリアだ。洋風の近代建築が密度濃く残り、それらが自ら古い町並を形づくっている。現在は社屋や商工会議所等に利用されているが、明治以降に港湾関連の施設として建築されたものなのだろう。文明開化以後、港町として全国に先駆けて近代化されていった様子が、この洋風の町並を見るだけで伝わってくるようだ。
 このように伏木は殺風景な化学工業地帯が表向きの顔でありながら、今でもその礎となった歴史的な側面を町並風景として残していた。洋風建築の方は残るかもしれないが、町家は風前の灯火といったところで、やがて失われることになるのかもしれない。
 丘の斜面を利用するように公開される北前船資料館は海運業を営んでいた邸宅を利用したもので、かつては小矢部川に面し、今も屋根裏に残る望楼から入出津船を見張っていたのだそうだ。ただ恐怖感すら覚えるほど急な木製の階段を登って望楼に上ると、眼下には水の流れは無く、住宅地の向うに工業地帯が見渡せた。
  


訪問日:208.06.07 TOP 町並INDEX