二神島の郷愁風景

愛媛県中島町<漁村・港町> 地図 <松山市>
 町並度 5 非俗化度 10 −民俗学的にも貴重な属島制度を持っていた島−




二神島の町並(海岸の街路沿い)


 
 二神島は松山港から約20kmほどの沖にあり、島の北側に集落が開けている。北側に同じ松山沖の島に含まれる津和地島・怒和島があるが、西はほぼ同じ距離で山口県の大島にも近い。
 
 人口は150人ほどというが、明治前年での記録では人口673人とあり、現在よりは随分と町らしい雰囲気で賑やかだったのだろう。109隻の船舶を有していたとされる。しかし、海岸に沿っては比較的開けた町並が展開し、町家建築とも見紛う平入りの建物もある。またそこから内陸に向けて幾つかの路地が巡る。それらは車の進入を拒む幅員で、地形に従って坂道となり曲線となる生活道だ。そして斜面の土地の有効利用のために石垣を築いて宅地とした箇所も目立ち、それらがこの島の集落風景の印象を強めている。















板壁や石垣が印象的な独特の路地風景が展開する
 


 古くから漁業が基幹産業で、特に近海はイワシの好漁場として賑わった。現在でも集落の規模に比べても立派な漁港が頑丈な堤防に囲まれており、漁業が中心の島であることが伺える。
 この島に特筆すべきことに属島制度がある。南沖10kmほどにある油利(由利)島はよりイワシの好漁場に近く、昭和初期ごろを中心に島民が住み込みで渡って煮干製造などに従事したという。また本島に住む住民が生活に窮したときに、そこに糧を見出し場合によっては定住するといったことも行われていたらしい。民俗学者の宮本常一氏は、そういった島々を「困窮島」と名付け、その中に油利島も含めていたという。
 訪ねた時、路地の入口で地元の方が豚を解体している光景も眼にした。島内で捕れたものなのか。それを見て本土とは違う空気が流れているのを感じた。
 
 
 
 

訪問日:2016.08.12 TOP 町並INDEX