二見の郷愁風景

三重県二見町【旅館群】 地図
 
町並度 6 非俗化度 3 −木造旅館の連なる町並−




明治時代建築の迎日館  銅板葺の入口が厳かだ








 二見町は伊勢湾に面する町で度会郡の北東端に位置する。有名な夫婦岩は町の中心に程近く、観光客も多く訪れる。三重県北部にあっては鉄道網は近畿日本鉄道が圧倒的であり、JR沿線のこの町は全体的にやや閑散とした雰囲気を感じる。しかしそのことが逆に幸いして、木造旅館の連なる独特の古い町並が大きく破壊されることなく残っている。
 伊勢湾沿いは二見浦という弓形に連なる砂浜で、松林が縁取り白砂青松という言葉を想起させる。そしてその内側、東西の街路に沿いその旅館群はある。一部では現在では建設を許可されない木造三階建のものも残る。そしてその規模を問わず、木造の建物には通りに接して手摺が設けられ、その意匠も凝ったものだ。その眺めは遊郭を想起させる。
 本来は港町で、この地区の古い地名である江村の時代には大坂・江戸への廻船業を営み、また伊勢神宮への参宮客を受入れた。参宮客の中には、この二見に投宿する者も多数いたに違いない。神宮領に属し、その保護の下製塩業も盛んだった。神宮の神事のひとつとされ、明治初期まで続けられた「贄海神事」はこの二見浦でとりおこなわれていた。神宮の神主や関係者、参詣者にとって、この浜は心身を清める「禊(みそぎ)」を行う場所であった。このように伊勢神宮との深いつながりをもとに歴史を刻んできた。
 海浜環境や海水に浴する事が健康に良いとされたことから、明治の頃には本来の目的を外れて海水浴に訪れる客も増し、旅館が次々と建てられていったのだそうだ。今に残る町並の風景の原型はこのとき形成された。
 訪ねた時、夫婦岩やその周辺は賑わいを見せていたが、旅館街はやや人通りが少なく、数組の宿泊客が見られただけであった。宿泊客で最も多くを占めるのが修学旅行生だといい、伊勢神宮を訪ねてここに宿泊するのが定番となっているようであった。
 明治期の繁栄の旅館街の雰囲気が大きく改変されることなく残り、時を経て古い町並となった特異な例である。







木造三階建の旅館が残る

訪問日:2006.07.17
2016.06.04再取材
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※1〜4枚目は再取材時の画像