加納の郷愁風景

岐阜市加納新町他<宿場町・城下町> 地図 
 町並度 4 非俗化度 6  −加納城の城下町を兼ねた中山道の宿場町−







加納新町の町並


 岐阜市加納地区は岐阜駅からは南側の一帯を占め、地区の北東端付近に名古屋鉄道本線の加納駅がありやや雑然とした住宅地・商業地が展開している。
 藩政期には中山道の宿場町として繁栄したところだが、加納城の城下町として街道筋のみならず広域に町が形成されていた。加納城は関ヶ原の役に勝利した家康が岐阜城を廃止してここに新たに築城したのが始まりである。その狙いは当時岐阜街道に代り中山道が主要な通路になりつつあり、当街道沿いに居を構え管理掌握を図ろうとしたものとされる。現在、岐阜駅の南東側1km余りの位置にある加納公園が城跡で、周囲にも加納西丸町・加納鉄砲町といった地名が見られる。
 一方旧加納宿は江戸方の鵜沼宿より四里余り、西の河渡宿からは一里半の位置にあり、中山道では数少ない城下町に設置された宿場町であった。八幡城下などを結ぶ郡上街道と、名古屋方面への街道がここから分岐していた。特に後者は幕府への諸荷物の運送にとって重要な街道であり、殊に徳川将軍へ献上する鮎鮨を運ぶ道筋として使われたことで知られ、御鮨街道とも呼ばれていた。当初は問屋を務めていた熊田氏が継立てを行っていたが、後に松波氏が問屋役につき、江戸までの所用日数4・5日のうちに醗酵して食べ頃となるため珍重されていた。
 本陣脇本陣各1、旅籠屋35を擁したほか、街道の交差点や城下町も兼ねている性格上各種商人も多く、その内訳は魚屋17・煙草屋10・米屋9・油屋7・豆腐屋6など。また大工33をはじめとした職人も多く住まう地となった。
 
 
 地区の多くは戦災により焼失しており、古い町並の多くは失われている。その中で中山道沿いの加納新町・加納柳町・加納安良町にかけては若干伝統的建物が残っていた。切妻の両端に袖壁を張出し、やや荒い格子が見られるのが特徴で、連続した箇所は少ないものの一見して旧街道沿いとわかる町並風景が展開していた。一部には格式ありそうな門を持つものもあった。
 この付近の中山道は屈曲が多いが、随所に案内板があり道筋を見失うことなく探訪することが出来る。


加納新町の町並




加納柳町の町並




加納安良町の町並


訪問日:2019.05.26 TOP 町並INDEX