黒野の郷愁風景

岐阜市黒野他【城下町】 地図 
 並度 4 非俗化度 7  −江戸初期の黒野城城下町に端を発する町−





黒野の町並 右写真の石積のところがかつての濠跡


 岐阜市の中心から北西に5kmほどにある黒野地区。地区の東部には黒野城址があり、濠などの遺構も残っている。文禄4(1595)年、加藤貞泰が甲斐国から4万石の城主として当地に封じられ、黒野藩が成立、家中屋敷・町人屋敷が建設された。関ヶ原の合戦では徳川軍にくみし大垣城に対陣した。その後慶長15(1610)年に伯耆米子に転じ黒野藩は廃藩となった。
 以後は本願寺黒野別院を中心とした在郷町として発展した。しかし町割は城下町時代に町の基盤が形成されていたため上町・中町・下町・新町・職人町・紺屋町・片町という城下町らしいもので、享保14(1729)の記録では400余の軒数を数え、大工2・木挽1・野鍛冶1・紺屋3・油屋3・酒屋1・竹商人3の職人・商人があった。
 バス通りともなっている南北の道が黒野の町の古くからの中心らしく、町家建築が見られる。中には長屋門の残る邸宅もあり、実際城下町時代に遡るものではないとは思うがその時代を連想させる。袖壁を従えた商家が何軒か連なる箇所もあった。
 町並の北端付近は黒野村と古市場村との境で、城下と外を隔てる堀が今でも一部残っている。この位置に城郭の惣門と木戸もあったという。
 現在は郊外地に飲み込まれたようになっている地区であるが、所々に案内板が設置されるなどささやかながら認識されているようであった。
黒野の町並


古市場の町並




黒野の町並 長屋門の残る屋敷


訪問日:2019.05.26 TOP 町並INDEX