五箇山(相倉・菅沼)の郷愁風景

富山県平村・上平村【現・南砺市域】<農村集落> 地図(相倉)地図(菅沼)
 
町並度 7 非俗化度 2 −合掌造りは養蚕と塩硝生産に適した合理的住宅−




 五箇山と呼ばれる地域は富山県の南西部、庄川の上流部の5つの谷沿いの村々を指し、冬は豪雪地帯となり陸路は北も南も山々に阻まれて険しく、交通もごく最近まで非常に不便な地であった。そのため合掌造りと呼ばれる独特の茅葺民家が集中して現在まで残されており、その中心となる相倉・菅沼の両集落は国の史跡、重要伝統的建造物群保存地区、そしてさらに岐阜県側の白川村荻町集落とともに世界文化遺産に、それぞれ指定されている。
 この地域でこのような独特の外観を持つ民家が多く見られることは、その自然とかつての政治的な背景を考えると、実に合理的な家屋であることを感じる。
 45度以上もの傾斜を持つ屋根は積雪が堆くなるのを防ぎ、高い屋根裏は養蚕に利用された。屋根裏部屋が2層建、または3層建となっている例も珍しくない。また一部は吹抜けとなっているため階下の囲炉裏の煙が屋根裏を伝うことで、屋根が乾燥・殺虫され、茅も長持ちする。家屋は全て切妻で、妻側には採光のための窓が左右対称に配置され、風通しをよくする養蚕のための配慮といえる。 これらの特徴は白川郷と呼ばれる白川村荻町などと多くの部分で共通する。
相倉集落の風景



相倉集落の風景




相倉集落の風景 菅沼集落の風景




菅沼集落の風景 菅沼集落の民家。妻部の木組と窓の配列が美しい。



菅沼集落の風景



西赤尾の岩瀬家
 
 
五箇山では加賀藩の支配を受け、水田が限られ年貢米を納めることができなかったため、藩は金納を求めていた。それらは先の養蚕の他、塩硝、和紙などの生産で賄われた。特に塩硝の生産は白川郷を含めたこの地域に特記すべきもので、火薬の原料となるため加賀藩での軍需を満たす貴重品であり、一時は藩により定期的に買い上げられていた。
 塩硝の生産は、まず民家の床下で蚕の糞などを原料に4・5年かけて塩硝土が作られ、それを樽に詰めて上から水をかけて抽出した液を煮詰めて結晶を得る。さらに「上煮屋」といった有力な農民によって純度の高い塩硝に精製され、藩に納められたという。合掌造りの家の床が今でも高いのは、塩硝土を作る作業スペースが確保されていたためである。このように構造的に一点の無駄もなく、合掌造り以外の構造はないとも言える。
 相倉集落は庄川の左岸の台地上に開ける農村集落で、ほとんどが合掌造りの茅葺民家で占められ世界遺産となってからは訪問客も増加し半ば観光地のようになっていた。屋根も綺麗に整えられ外向きの整備が図られて、人工的な色は否定できないが、少し高いところから見下ろすと合掌屋根が連続した見事な風景が展開していた。
 また相倉より庄川を5km余り遡った位置にある菅沼は、川の蛇行した内側の低平地に作られた小さな集落で、相倉と比較すると家々の規模はやや大きい。平入り・妻入りは両地区とも混在しているが、菅沼は妻入りが多いようであった。そして両地区とも、妻側に小さな茅葺またはトタン、一部は瓦葺の庇を張出させて一見入母屋に見えるものや、屋根の下半分をカットして2階建の住居に改造した例も多く見られ、現代生活に順応した姿を見せていた。
 菅沼地区より少し荻町寄りの西赤尾という集落には最大規模の合掌民家といわれる岩瀬家があり、塩硝の上煮役を務めていた豪農の家で重要文化財に指定されている。その他相倉と菅沼の間の上梨集落にある村上家などもあり、この地域では特別に保存されなくても少し前まではこのような合掌造りの家が普通に見られたものと思われる。
 近年東海北陸自動車道が菅沼集落の近くにインターを設け、全線開通も近い。荻町と異なり団体客の訪問は少ないようだが、今後観光地化が加速する恐れがありその点が危惧される。

訪問日:2005.10.10 TOP 町並INDEX