歌舞伎町・ゴールデン街の郷愁風景

東京都新宿区【花街・繁華街】 地図
 
町並度 4 非俗化度 3 
−日本一の大繁華街の片隅に偶然残る庶民的密集飲み屋街−






歌舞伎町一丁目(ゴールデン街)の町並




 歌舞伎町に代表されるように新宿は大繁華街というイメージが先行する地区である。江戸の昔から長らく浅草が賑わいの中心であったが、その後銀座そして新宿とその中心は変遷していった。


歌舞伎町一丁目(ゴールデン街)の町並



 新宿という地名は藩政期の内藤新宿(甲州街道の宿駅)に由来するものであり、関東大震災以前は街道沿いに住宅地が展開する程度であった。震災を機に国鉄の新宿駅周辺に被災者が集まってきて、徐々に繁華街が形成されていった。昭和初期ごろには既に百貨店も進出するなど核心的商業地としての地盤が出来上がっていた。
 第二次大戦時にはこの周辺は徹底的に焼き払われ、従ってここで紹介する風景もそれ以後のものである。雑然とした当時の繁華街の雰囲気を濃厚に残す一角がここで取上げるゴールデン街である。
 ゴールデン街は旧三光町と呼ばれ、旧甲州街道を中心に乱雑に展開した闇市を含む繁華街の街区を整備したが、それらが最終的に残ったのがこの一角であった。昭和33年に売春禁止法が施行されるまでは公娼を配置しない花街いわゆる青線地区として位置づけられており、現在ではもちろんそのような姿は無いが細い路地に面して小さな飲み屋が所狭しと並ぶ姿は大きく変わっておらず、戦後の飲み屋街といった空気がきわめて濃厚に漂う独特の雰囲気をかもし出しているとして注目されている。
 ゴールデン街は100×200mほどのエリアに、実に200軒もの店舗が犇きあっている。6本の東西方向の路地には店舗の看板が密集し、混沌とした場末の繁華街を思わせる。また南北方向にそれらを結ぶ路地というにも余りに細い通路が何本かあり、それに沿っても店の入口がある。
 この一帯は昭和末期からしばらく続いたバブル期に相当な変貌を遂げているのだが、複雑な権利関係などが絡みゴールデン街は生き延びた。バブル崩壊後の景気低迷期はしばらく客足が遠のいていたというが、その後廉価な飲み屋街として見直されているともいう。駅前によくある庶民的な盛り場といったたたずまいは今や貴重なものといえよう。
 この西側、新宿区役所の裏側一帯は大繁華街歌舞伎町が展開している。私が歩いたのは昼前であったが、既に客引きなども現れカメラを持って歩くことに抵抗を覚えた。歌舞伎町という町名は戦後、東京都が新宿駅北側一帯を娯楽・文化エリアとして開発しようと計画した名残であり、ここに歌舞伎座を誘致しようとしたため地名として残っているものである。
 
 




歌舞伎町二丁目の町並

訪問日:2009.05.30 TOP 町並INDEX