御油の郷愁風景

愛知県豊川市宿場町 地図 
 町並度 5 非俗化度 7  −近代交通に取り残されたことで生き残った東海道宿場町−



 御油地区は東に隣接する国府地区とならび東海道の隆盛期には街道集落として賑わい、御油には宿場町が形成されていた。
御油(旧中上町)の町並
 
 御油宿は通称姫街道と称された本坂道との追分の宿であり、石碑が残されている。旅人の改めの厳しい新居関を避け、浜名湖の北側を迂回するこの街道を辿る者も多く、特に女人に多用されていたことからこの名で呼ばれていたものである。
 吉田城下(豊橋市)にあった吉田宿からは三里ほどの距離があるが、西隣の赤坂宿へは極めて短く、隣接しているといってよいほどである。「夏の月御油より出でて赤坂や」とは芭蕉の句であり、夏の夜の短さを御油-赤坂の宿場間の短さを譬えて詠んだものといわれている。
 御油宿は非常に賑やかな宿場町だったらしく、それは飯盛女の存在を持って語られることが多い。60余軒の旅籠には全て飯盛女が配置されていたといわれ、「御油や赤坂、吉田がなけりゃ、何のよしみで江戸通い」とも謳われていたように歓楽地として旅人に知られ、ここに投宿する目的はそれらの遊興に重きを置く者も多かったという。
 明治になって豊川稲荷への参拝客輸送などで賑ってはいたが、東海道本線が蒲郡などの海岸部に迂回して開通したこともあり交通の要衝としては急激にその役割を失った。後に愛知電機鉄道(現名古屋鉄道)がここに伸びて来たものの、主要駅は設けられず衰退は確定的なものとなった。
 国道1号線からも見放されたこともあり逆に往時の面影が残されることとなった。江戸方から音羽川を渡ると、茶屋町・横町・仲町・中上町・上五井と宿場町が連なり、茶屋町から仲町にかけては二度、街路が直角に折れ曲る桝形があり今でも踏襲されている。
 古い町並は主に東西の端・茶屋町や上五井を中心に見られ、平入り切妻の家並が比較的連続性高く保たれていた。
 西側には見事な松並木がある。御油の松並木は17世紀初頭の慶長期には既に整備され、何代か世代交代したものであろうが鬱蒼たる並木道で天然記念物にも指定されている。




御油(旧茶屋町)の町並 御油の松並木




御油(仲町)の町並 御油(旧上五井)の町並




御油(旧茶屋町)の町並 国府町流霞の町並

訪問日:2010.01.02
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