郡中の郷愁風景

愛媛県伊予市<商業都市・港町> 地図
町並度 5 非俗化度 7 −港に伊予の商業が集積した−






 この町を開拓したと言われる宮内小三郎邸。卯建も備わっています。 湊町の町並




湊町の町並 灘町の町並




灘町の町並   万延元(1860)年建築の山崎家(山惣商店)。角地に建つ素晴しい入母屋の旧家ですが逆光のため側面の画像でお許し下さい。

 

 伊予市は松山市に程近い瀬戸内沿岸の町である。文化14(1817)年以来郡中と呼ばれてきた市の中心部は、港を背景に商業が集積し栄えたところだ。それが現在でも町並として残っている。
 かつて牛子ヶ原と言われた荒地を17世紀半ば、上灘村(現双海町)の豪商が私財を擲って切開き、町場を築いている。藩政時代は大洲藩領に属し、米湊と呼ばれた港はその名の通り藩域北部の米の積出し港となっていたが、砂浜海岸のため大型の船が出入り出来ず、また風波がじかに押し寄せる地形的な不利さもあった。地元の強い要請を受けた藩は築港を許可し、難工事を経て完成している。米は大坂の蔵屋敷に積出され、帰り荷は綿実を積んだ。そして物資が集散する地の常として大規模な商家が多数立地している。 
 明治になっても、南予地域は陸路の整備が遅れていたこともあり、地域の足としての港、そして長距離航路も開設され、郡中から大阪・東京便も発着していた。物資も農産物のみならず山間部からの木材、砥部の焼物などの名産も続々と積出された。
 現在の灘町、湊町の周辺がかつての町の中心部である。ここには切妻平入で、漆喰に塗りまわされた町家が、新しい建物に侵食されながらも残っている。連続性は薄いが、その質は決して低くない。商業の繁栄を伺い知ることが出来る。
 町家群は国道378号線の一本海側の旧道に沿って見られる。灘町の一角にある宮内邸は郡中の町を拓いた一人と言われており、商業の町の元締めとして、今で言う総合商社のような立場であったという。醤油商、油商、酒屋、肥料商など各家の商売は様々で、伊予の商業の全てが凝集していると喩えられるのがよくわかる。
 この町では町家の由来を記した看板が所々に設置され、大事に保存していこうという心が伝わってくる町並である。
 
 

訪問日:2004.02.08 TOP 町並INDEX