八浜の郷愁風景

岡山県玉野市<漁村・港町> 地図
 町並度 6 非俗化度 7 −児島湾奥の港町 商業も盛んだった町−
 




醤油屋の煙突のある風景





八浜八幡宮鳥居前付近の町並




この町では漆喰にツタが這う、このような絵になる風景がまだ多く見られます。

※後半の3枚は2001年11月撮影、他は2003年6月撮影です。

 玉野市は国鉄四国連絡船の発着地であった宇野付近が現在の中心であるが、江戸期から明治初年にかけては児島湾に面したこの八浜(旧八浜町)のほうが主要港であった。商品流通面だけでなく、由加山参りの港としても繁栄を見た。
 ここは15世紀に遡るといわれる古くからの漁村でもあった。一時は児島湾の漁業権の八割をも占めたほどであり、漁業権争いをしばしば起しながらも、常にこの八浜は近隣の漁村の中心でありつづけた。
 また、ここは中世より児島地方の産物(海老、米、麦、塩など)の積出港であった。藩の方策により在町に指定されたことにより、酒、醤油、海産物の加工品などの産業都市ともなり、現在町並を歩いて目につく造り酒屋、醤油醸造工場は当時に由来するものであろう。
 明治以降、児島湾の干拓が進み、半島の裏側の宇野に主要港の座を奪われ、八浜は凋落していったが、以後も貝の養殖を中心とした栽培漁業、繊維・縫製産業も興って、銀行の本店なども設置され細々ながら地域の中心であったようだ。
 町の中心をなす通りに「八浜町並保存拠点施設」がある。ここは明治期より貝の養殖業で栄えた旧家を修復し、資料館・交流施設として最近公開を始めたもので、八浜町長、衆議院議員などをつとめた藤原元太郎の旧宅である。この町並も、行政から補助を得て、古い民家の改修整備が近年急速に進んでいるようで、真新しい格子がはまった家々と、漆喰が崩れ落ち、本瓦が外れかけた痛みの激しい家との著しい対比があった。町並保存に向け、変貌の渦中にあるようで、次第に更新された古い町並になりつつある印象を受けた。
 しかし、この町は町並としてはほとんど知られていない。歩いていると住人の方に良く出会い、生活の色の良く感じられる町だ。醤油醸造場も昔のままの構えで創業されており、その界隈は八浜を象徴する煙突のある風景が展開している。また、八浜八幡神社の鳥居脇と拠点施設の近くの二箇所には、だんじりを収納する倉庫も残り、こうした伝統的な祭りもこの町の歴史の深さを証明している。
 

八浜町並み保存拠点施設


訪問日:2001.11.13
(2003.06.15再取材)
TOP 町並INDEX