八戸の郷愁風景

青森県八戸市【港町・花街】 地図
 町並度 4 非俗化度 6
−東北屈指の港町 朝市で有名な湊地区と小中野地区に残る遊興地区の面影−
  





 東北北部を代表する港湾都市である八戸。もともとは城下町であり、寛文4(1664)年、盛岡藩から八戸藩が分離成立して町場が整備された。領地内は盛岡藩に倣い八戸廻浜通・長苗代通などの通を下部組織に置き代官を配備した。現在に至る町の基盤は城下に町が拡大していったことであり、政治・軍事的中心としても重要な位置を占めた。
 現在、町並から伝統的な姿が窺えるのは湊地区を中心とした一帯であるため、主に港町として紹介する。


湊町の町並 造り酒屋・八戸酒造付近

 
 
江戸期より湊・白銀・鮫の3ヶ所が藩から港として指定され、物資の輸出入及び漁業の基地として栄え続けてきた。江戸中期までは鮫がその中心として位置づけられ、藩蔵が設置されたり船問屋が指定された。廻船の発着が増し、大豆や魚油、鉄器などの産物が積出された。出羽の城米も東回り航路を経由し江戸に送られていた。交易地は江戸・大坂をはじめとした都市部、さらに松前など広範囲に及んだ。
 一方江戸後期になって台頭した湊は城下にも近く、八戸浦の中心となった。水揚高も文化6(1809)年には白銀1670貫余、鮫438貫余に対し9126貫余であり、鰯釜(魚油を得る釜)も62口と他を圧倒していた。
 湊地区は現在の市街中心やや東寄り、新井田川河口右岸付近に位置する。現在も湊町といい、八戸線の陸奥湊駅の北側一帯である。この地区では日曜以外毎日開催されている朝市が有名だ。東西の通りには主に魚介類を扱う市場や商店が建ちならんでおり、港町らしい佇まいである。看板建築や一部には間口の広い商家風の建物も残り、比較的古い町並を残している。新井田川に近いところには厳かな母屋に複数の土蔵を従えた八戸酒造の建物群が存在感を示し、界隈のランドマーク的存在となっている。

 
 




湊町の町並


 一方、新井田川の対岸は港町の賑わいを背景に発達した花街・小中野があった。藩政期より既に遊興の地として賑やかだったが、大正期頃には東北の上海と形容されるほどであったという。昭和初期には160人もの娼妓を抱える地であったという。バスの通る街路から路地に入ると、不自然に屈曲した道や思わぬ幅員を持つ袋小路などが見られ、これらは花街時代の名残であり多くの貸座敷などがひしめいていたという。
 遊里としての名残は町並にはほとんど残っていないものの、一部に唐破風を持つ木造建築や小さな飲み屋街、旅館の看板の残る建物が見られる。そのような一角で孤軍奮闘しているのが現役の新むつ旅館だ。明治31年に建てられた当時のままという堂々たる貸座敷建築で、内部には空中廊下や凝った階段などきわめて貴重な構造が残っている。




小中野の町並




花町の唯一の遺構ともいえる旅館・新むつ

訪問日:2018.05.01・02 TOP 町並INDEX