萩の郷愁風景

−武家地区−

山口県萩市<城下町> 地図
 
町並度 7 非俗化度 3 −幕末の志士を育んだ日本を代表する城下町−


 萩市は、日本を代表する城下町として全国に知られ、訪れる人も絶えない。中国地方全土を統治していた毛利氏の居城として大規模な武家町が形成され、近代になっても大都市とはならず町割が残されたことが、稀に見る大規模な町並を残す結果となっている。
堀内の町並(口羽家の長屋門)




堀内の町並


 
関ヶ原の戦いに敗北後、当氏は長門・周防二国のみに領地を縮小された。逆にそのことが幕末の討幕精神を育み、この町より多くの志士を生んだ。エネルギーの塊のような町である。
 ここで紹介する堀内及び平安古地区は城下の武家地区で、
堀内の名が示すようにここは外堀の内部で上級武士の住まう地区であった。口羽家、周布家をはじめ長屋門も多く残され、街路の両端は土塀が連なり独特の町並景観を示している。屋敷はほとんど現存せず、普通の民家が現代の暮しをしている姿も多く目につく。町並というより土塀並であるが、漆喰で塗り込められていない当時のままの土壁が剥き出しの物も多く、内部には瓦が埋められているのがわかる。1km四方のこの地区のほとんどはこのような家並であり非常に広大である。しかし表情は筋ごとに異なり、歩いていて飽きさせない。鍵曲り(追廻筋)も残り、迷路の中を歩くようである。
 萩城城下町と称される呉服町の菊屋家住宅を中心とした界隈は観光客で賑わうが、この堀内地区はその訪れも少ない。辻々に異なった表情を見せる武家町の表情を存分に味わうことができる。
 萩の武家町というと夏蜜柑が萩の代名詞のようになっている。文久3(1863)年藩庁が山口へ移転となり、武家地では長屋門と土塀を残し多くの屋敷が壊された跡地に栽培されるようになったからである。




平安古の町並
 
訪問日:2002.11.23
2015.11.23最終取材
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