鶴江の郷愁風景

山口県萩市<漁村> 地図
 
町並度 6 非俗化度 9 −河口東岸に連なる意外性の町並−

       




 




鶴江(椿東)の町並

 萩市街地の東部、三角州を出外れた東萩駅周辺は椿東地区と呼ばれ、中心部よりは少し開けた後発的な市街地風景が展開している。一方で地区の北側、河口部には小山を抱いた一帯があり、細い運河状の水路で隔てられているため島のような地形となっている。その西岸に沿い、ほぼ一本道の細長い集落帯が延びている。鶴江という字名で呼ばれるところである。ここに予想外の古い町並が展開していた。
 江戸期には鶴江浦と呼ばれ、漁業の拠点であった。江戸中期の寛保期には漁船数50余艘、その後幕末の安政期には116艘と倍加している。近海での鰯漁を主な漁獲としていたが、比較的早くから遠洋に出向く者も多く、西九州沿海から朝鮮半島方面まで鯛や鮫、鰤などを求め出漁するものもあった。
 現在運河のように見える東西の水路は、漁船の出入りを容易にするために嘉永5(1852)年に萩藩主の命により開削されたものである。現在も多くの漁船が舫われ、外海からのや川の流れの影響もなく繋留地として絶好の条件である。
 萩城下に接する漁村としてその存在価値も高かったのだろう、家並は町家風の建物が目立つ。平地のない河口部の水際に沿い細長く展開するしかなかった家並は連続性を保ちながら続き、一見街道集落のような風情も感じられる。一部には格子や二階部の木製欄干が見られる家屋もあった。
 対岸は城下の港町・浜崎地区である。両岸で町の機能が厳然と住み分けされているあたり、やはり城下町として発展した萩らしい事象である。
 





訪問日:2013.03.24 TOP 町並INDEX