榛原の郷愁風景

奈良県榛原町<宿場町> 地図 <宇陀市>
 町並度 7 非俗化度 6  −伊勢に向う街道上に集落が発達した−

 


 青越道(伊勢北街道)沿いの町並
 奈良盆地の東に接する丘陵地にある榛原町は近畿日本鉄道が通り、また複数の国道が交差する交通上の要の地である。
 その歴史は非常に古く、中世には萩原荘として関所も置かれ、江戸時代には大和と伊勢を結ぶ街道が整備されて、伊勢参りの旅行者でたいそう賑わった所である。町の中心は今でも萩原と呼ばれ、萩の茂る原に因むと言われており、それが転訛して現代には榛原と言われるようになったという。現在その街道筋を辿っても、その風情が古い町並として多く残っているのを眼にすることができる。
 




 突当りの旧家はもと旅籠「あぶらや」 内部が公開されている(右)


 大和盆地桜井から東へ山間に分け入る伊勢街道(本街道)は、この萩原で青
(阿保)越道(他の別名に伊勢北街道または伊勢表街道)を分岐させていた。その追分に旧旅籠の「あぶらや」が状態良く残る。18世紀末頃の建築と考えられているが後世に余り改造が加えられなかったこともあり、宿場として全盛だった頃の姿をそのまま残す貴重な遺構である。美しい格子、2階に煙出しの小屋根を従え、2階正面と側面の袖壁部分には屋号を鏝絵調に表現していた。「本居宣長公宿泊」の木札も生々しい。
 古い町並はこのあぶらやを核に、T字を横にした形で展開し、南北には伊勢本街道の家並が残る。北に向って緩い登りとなっている街道沿いには虫籠窓をまとった旧家や、主屋前面に枝振りのよい松を這わせた妻入りの家屋などが見られ、路地風景も趣深く残っていた。
 あぶらやの正面に分岐する道は青越道で、国道を跨ぎ東に伸びている。緩いカーブの続く道は見通しが利かず、防衛上も有効であったと思われるが、それよりも家並の展開にはいい演出だ。平入りの旧家がある程度連続して残り、虫籠窓や犬走りなどの意匠も洗練された感じで風格がある。一方で中2階と本2階が混在し、軒の高さも統一的でないのは、長きに渡り街道集落として栄えていたことを証明しているようであった。伊勢参りというかつての一大行事は維新後も続き、大正初期に参宮急行電鉄が全線開通するまでは、少なくとも宿場町としての機能があったのだろう。
 近鉄で鶴橋や上本町まで30分余りと近く、通勤者も多くベッドタウン的な様相を示しているがその一方でこの旧萩原宿が当時の町並をとどめていることは貴重である。訪ねたところ特に目立った保存活動などはなされていないようであり、行く末が少し気掛りでもある。地味に目立たず維持されていくことを望みたい。






伊勢本街道沿いの町並 青越道(伊勢北街道)沿いの町並









訪問日:2004.07.18
2013.08.14再取材
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