博多の郷愁風景

福岡市博多区【商業都市・都市部の非戦災地区】 地図
町並度 3 非俗化度 6 −微かに残る中世商業都市の痕跡−






上呉服町の町並




御供所町の町並 御供所町の寺院街




冷泉町の博多町家ふるさと館 冷泉町の町並 古い旅館が多い

 

 
 福岡市の中心駅はご存知の通り「博多」である。地名としては8世紀より記録に残る非常に歴史の古いところで、アジア各地との交易、そして軍事的拠点ともなり、鎌倉期頃には博多商人という言葉も盛んに用いられるようになるなど早くも商業都市としての台頭があった。
 一方江戸期に入りこの地に入った黒田氏は博多の町の西側に城を構え、祖先の故郷であった備前福岡の名を取り城下町を福岡と呼んだ。商人町・博多と城下町・福岡の二段構成は後に市制施行する折に論争ともなり、博多市と独立市政を要求した博多部の思いは受入れられず結局福岡市に統一されたという経緯がある。鉄道の駅が博多と命名されたのはせめてもの救いだろう。
 博多の総鎮守として信仰されてきた櫛田神社の例祭である山笠など伝統的な祭も多く、深い歴史を感じさせるのだが、さすがに付近は博多駅からも徒歩圏内であることから常識的には古い町並は残っていないと思われる。
 しかし、この一帯の多くは第二次大戦時に焼失していない地区であり、大通りより少し足を踏み入れるとかつての博多の町の姿を想起させるような町の風景が奇跡的に残っていた。 
 最もその色の濃いのは上呉服町付近で、恐らくこの界隈は寺が多かったため抜本的な開発による破壊が及ばなかったのだろう。裏手の路地には妻入りの大柄な商家建築があり、また平入りの小規模な町家が点在する。出桁造りのものも幾つか見られるのが特徴的だ。櫛田神社の近くには博多町家ふるさと館という施設が公開されている。これは博多人形・博多織・博多帯など博多の商業を伝承する貴重な施設として訪問客も多い。1軒のみ明治期に建てられた旧家の移築で、他は新造されたものであり、新造の古い町並ではあるが、取組は評価したい。
 古い町並として保存するという段階は過ぎていると思われるが、少しでも長く面影を残し続けてほしいものだ。


訪問日:2008.01.25 TOP 町並INDEX