函館の郷愁風景(1)
-山手地区-

北海道函館市【港町】 地図
 町並度 7 非俗化度 2 −北の大地の門戸として位置づけられた歴史の町並−
 




 函館は歴史の浅い北海道にあって異例とも言える古い歴史を有しており、15世紀に遡る。
 初めて和人が移り住んだのもこの函館(当初は箱館)とされ、中でも早くから開発されたのが函館山の山麓付近である。蝦夷地の開発は幕府にとっても重要な課題であったが、地理的にも箱館は入口に当たることもあり次第に町が形成されていった。海産物の集散地として栄え、松前藩の番所も置かれた。
 決定的となったのが幕末期に締結された日米和親条約で、横浜などとともに我国初の対外貿易港として開港した。以後、先進的な港湾都市として時代の先端を走ることとなった。港湾関係の施設をはじめ政治・経済の中心を象徴する施設が洋風建築で建設され、また山手地区を中心に西洋の文化の流入の影響によって多くの教会が建てられた。特徴的なのが現在で言えば中小企業に相当する会社や、一般の家屋であっても洋風、或いは和洋折衷の様式を取り入れた例が多かったことで、そのため文化財に指定されるような代表的なものだけでなく戸建住宅のようなものに至るまで、あらゆるものに洋風の色の濃い町並が見られる。一般的に洋風の佇まいは、個が単独で残っていることがほとんどであり、函館のように町並的に連続した景観もみられるのは、極めて珍しいといえる。それは一つは後に行政機関の多くが札幌に移り、戦後は港町としても次第に機能を失っていき結果的に抜本的な都市開発を逃れてきたことが大きいだろう。
元町の町並 正面はハリストス正教会堂


遺愛幼稚園(T2)越しに函館山を望む




旧函館区公会堂(M43) 函館を代表する洋風建築である 大町の町並 左は中華会館(M43)


 中でも密度の濃い山手の元町と、港地区の末広町は北海道唯一の重要伝統的建造物群保存地区となっている。函館山のロープウェー乗場付近から地形なりに北に向って山裾を歩いていくと元町界隈、函館を代表する教会建築・ハリストス正教会などの見られる住宅街となる。函館山を背景に厳粛さすら漂わせる旧函館区公会堂などもこの一角にある。またこの界隈から見渡すことの出来る、港に向って一直線に伸びた坂道は函館を代表する風景の一つとして親しまれている。
 一方で、路面電車の行交う麓の地区にも洋風や和洋折衷の伝統的な建物が高い密度で残っている。代表的な商家建築の旧金森洋物店、川越電化センターなどの比較的小規模な洋風建築も残っているのも特徴で、この一本港側の地区、有名な金森倉庫街との間に洋館・和洋折衷の建物が連続した町並景観も見られる。
 一般に北海道では和風の町家風建築は皆無に近く、瓦屋根の建物自体も極めて少ないことが本州以南の町並と著しく異なる点で、田舎町では逆にそれが西部劇に出てくるような町の出で立ちに感じられ魅力的ともいえるのだが、歴史の古い函館には僅かながら残っている。代表的なものが宝来町にある、質店を営んでいた旧入村家である。現在は喫茶店として使われているが、平入りの町家の隣に二棟の土蔵が並んでいて、それは質蔵という珍しい用途の蔵であった。山手の元町地区、港に近い地区など所々にそれらは残り、洋風テイストの濃いものが多くを占める中にあって逆に新鮮に感じる。
 私は函館自体はこれまで複数回にわたり訪ねたり乗換えたりしたのに掲載できる画像に乏しく、今回ようやく再取材が叶ったのだが、それでもわずか数時間歩き回っただけではまだまだ不十分なものであった。町並を見物するという目的だけであっても最低4時間は必要と思われる。更に言うと、時間が許せばであるが飛行機で安直に訪ねるのではなく、青森から陸路や海路で函館にアクセスすることによって、町の印象度はまた一際味わい深いものになることだろう。
 ここでは町並としての風景の紹介に終始したため、個別の建物群で掲載可能なものは、別途路地裏「近代洋風建築のある風景」で紹介することとしたい。




洋風の建物ばかりが目立つが時に町家建築 土蔵も見られる

函館の郷愁風景(2)  ※文章内容は共通です


訪問日:2008.01.01 TOP 町並INDEX