浜田松原の郷愁風景

島根県浜田市<港町> 地図
 町並度 3 非俗化度 8  −浜田城の城山に接し松原浦と呼ばれた−





城山から見る外ノ浦と松原浦の町並


 浜田市街地北側、標高60mほどの小高いところにはかつて浜田城が築かれていた。
 城山に登り周囲を見ると、北東側に深い入江が切れ込んでいるのが見える。外ノ浦と呼ばれ、船を囲う港として優れていたほか、城が海に囲まれていることで天然の濠の役割を果たしていた。
 外ノ浦は藩最大の貿易港として北前船をはじめ多くの船がが頻繁に寄港し、藩政時代の港の取引を記録した『諸国御客船帳』によると、塩や米、砂糖が陸揚げされ、鉄、干鰯(肥料)、紙、焼物などが積み込まれたという。
 廻船はまず松原湾の入口付近で帆を降し、外ノ浦の港まで小舟に曳航されていたと云う。現在、港の付近はわずかな家屋があるだけで町並的な面影はないが、松原湾奥に位置し、城山のすぐ東麓の松原浦(現在の松原町)は当時の絵図にも表示されている。
 松原浦では商取引は禁じられていたが、数箇所の門と船見番所が設けられており、出入りする船を改める役割を担っていた。
 丘の上から望むと、円弧状の海岸線の奥に家々が密集したさまが見られる。海岸より一本山手の路地に入ると、所々に切妻平入形式の古びた建物が見られたが、藩政時代に遡るものはないように思えた。一部には敷地の大きい商家風の建物が赤瓦を配し見応えある姿を見せているものの、多くは店舗、一般住宅としての姿で、古い町並としてはさほどではない印象である。
 しかし西はずれにある厳島神社は、案内板によると応保2(1162)年に安芸国宮島から勧請されたもので、この存在からも歴史の古い集落であることがわかる。




 



 
  厳島神社 

訪問日:2023.04.29 TOP 町並INDEX