半田の郷愁風景

愛知県半田市【産業町・港町】 地図 
 町並度 5 非俗化度 5  −運河を中心に広がる醸造の町−




半田を代表する景観・旧半田運河沿いの工場群
 知多半島最大の町・半田は以前武豊線に乗って通過したことがある。半田駅付近から東側を見ると、渋い瓦を持つ家や板壁の倉庫群が見え、古い町並の存在を感じさせた。その時はあいにく強い雨が降っていたこともあり途中下車することはしなかった。かつての運河沿いには黒板壁の倉庫が並び、その他歴史を感じさせる建物も多いと聞き、それを確認する探訪となった。





本町の町並 東本町の町並
 

 半田を象徴する風景は旧半田運河周辺にある。現在は頑丈な護岸で固められているものの、その両岸には渋さ極まる黒板壁に被われた倉庫群が見渡される。尾張廻船と呼ばれたこの付近の海上運送業の中心地の一つで、江戸初期の寛文年間の記録では200石積以上の廻船が37隻もあり、港町として瀬戸内沿岸地域から大坂、江戸との海運に従事していた。
 黒い倉庫の群れは酢造大手のミツカンや、醤油のキッコウトミなどで、いずれも醸造業を営んでいる。この付近を歩くと酢の噎せるような匂いがしたり、また醤油のもろみの香ばしい匂いが混沌と混ざり合い、風景とともに独特の香りが協奏曲的に展開する。
 知多地方では醸造業の歴史が古く、その多くは酒造であったようである。この半田でも例外ではなかったが、沖積平野にあったため良質の水に恵まれず、洪積台地にある井戸から木製の樋で延々と水を引いて酒造が行われていたという。大規模なものではなかったが灘などに比べると江戸に近かったことから珍重された。
 酢の醸造も酒造から発展したもので、酒づくりの過程で発生する酒粕から粕酢と呼ばれる酢の醸造に成功したのが、現在のミツカンの初代である中野又左衛門であった。江戸末期の文化年間のことで、以来半田は酢の町として歩み始める。ミツカンの本社は洋風のレトロな構えを保ち、現在でも全国一の酢醸造メーカーとして知られている。
 運河の一本西側の本町界隈は、運河を控えた商業町として古くから栄えていたらしい商店街が古い町並の体裁を残しながら連なる。
 一方で、名古屋鉄道の知多半田駅周辺はやや小高い丘陵地となっており、この付近にも風情ある佇まいが随所にある。旧中埜半六氏邸は美しい洋風建築で現在は喫茶店として利用されている。半田の代表的な旧家中埜家は先のミツカンをはじめ、町並景観にも寄与する所が大きい。この付近より北に向うと、「紺屋街道」と呼ばれる細道がいかにも旧道らしく、曲がりくねりながら連なっている。この界隈にかつて幟を染める紺屋が数軒あったことが由来とされる。板壁の土蔵や町家が所々に残る風情ある散歩道といったところで、古い町並としても評価できる。北に突当たったところで煉瓦造りが眼に入る。これは旧カブトビール工場という洋風建築で、これは明治期に灘など押され気味になってきた酒造業の活気を取戻そうと、ビールに新しい活路を見出そうとしたその名残だ。煉瓦建築としても貴重なものらしく、将来整備して公開される模様である。
 このように半田では複合的な町並景観を見ることが出来、それは知多半島を代表する町として深い歴史が刻まれていることを示しているようであった。
 



東本町の国盛酒造



堀崎町の町並


訪問日:2008.03.23 TOP 町並INDEX