飯能の郷愁風景

埼玉県飯能市<商業町> 地図 
町並度 4 非俗化度 7 −木材の集散地として賑わった谷口集落−




 飯能市は県の南部、関東平野の西縁に位置し市域の大部分は秩父盆地とを区切る山地となっている。いわゆる谷口集落として東部の低地や台地に市街地が立地している。交通の便はよく、西武鉄道が池袋との間を結び都心部への通勤圏に含まれる。
仲町に残る旧飯能織物協同組合事務所の建物

 
 名栗川の上流部は古くから「武蔵木曽」とも呼ばれるほど杉を中心とした林業が盛んで良質の木材を産出し、渓谷を流れ下った丸太は飯能まで来ると大きな筏に組まれ、入間川の下流へと運ばれていった。西川材として江戸の膨大な建築需要に応えた。西川というのは江戸の西の川から運んだ材木という意味であり、飯能は江戸の火事を引き受けるとも言われた。
 そのような背景から町場が発達し、既に元禄年間には毎月6・10の日に六斎市が立っていたとされる。
 また木材の流通地に次いで飯能一帯で盛んになった養蚕・織物産業は、幕末期には飯能絹と呼ばれ各地に移出された。絹の取引により財を蓄積した一部の商人がこの地に鉄道を誘致する際出資したともいわれ、大正4年の鉄道開通後は一層商業の町としての発展をみた。
 
 西武鉄道の飯能駅より北に100mほど歩いて左に折れると商店街が連なる。付近には馬車鉄道の駅があったといい、この付近が古くからの賑わいの中心だったのだろう。看板建築の商店が残っており、昭和的なレトロさを感じさせる。
 この通りと県道28号の交わる広小路付近には商家建築や土蔵が散在的であるが残り、商業の中心であったことを思わせる。通りに面した母屋から裏手の土蔵、さらに裏通りに面した別棟を持つ建物も見られ、間口狭く奥行深い都市型の町割を呈している。
 そのような一角に「店蔵絹甚」として公開されている建物がある。鬼瓦を載せ、袖うだつを構えた堂々たる商家建築で、絹織物をはじめ生糸、繭などを商い富を築いた。市の指定有形文化財となっており、内部には案内人も常駐し簡単な説明を受けることが出来た。
 




本町の町並(店蔵絹甚) 仲町の町並




本町の町並 本町 表通りから裏通りまで非常に奥行深い敷地であることがわかる




銀座通りと呼ばれる商店街には看板建築をはじめ昭和的な風景が展開する


訪問日:2018.06.08 TOP 町並INDEX