吾野宿の郷愁風景

埼玉県飯能市<宿場町> 地図 
 
町並度 5 非俗化度 7 −馬継の行われた秩父往還の宿駅−




 西武鉄道池袋線の拠点駅・飯能を秩父方面に出た列車は高麗川に沿う山峡地帯に入り、5つ目に吾野という駅がある。優等列車は通過する小さな駅であるが、ここを境に秩父線と路線名が変る。滑稽な感じを抱くが、吾野までは大正時代に早々と開通していたのに対し、秩父までは戦後になってから建設・開通した区間であるためだ。
 歴史からしても吾野は秩父への往還上の重要な拠点であり、吾野宿とよばれる宿駅が設けられた。宿駅の設置とともに当時所属していた坂石村から坂石町分として分立し、現在の字も同名となっている。
 江戸時代は幕府領、文政8(1825)年より川越藩領、幕末は上州前橋藩領で、村の規模は小さいものの荷の馬継ぎを行う家々が街道の両側に建ちならんだ。街道は秩父盆地一帯で生産される絹製品をはじめとした産物の往来、秩父観音や秩父三山(秩父神社・宝登山神社・三峰神社)参拝への道でもあり、人や荷の行き来は多かった。飯能から秩父までの間で宿駅の扱いを受けていたのはここだけであり、秩父への重要な拠点であった。
 


旧吾野宿(坂石町分)の町並




洋風の姿を残す建物






 
 町並は高麗川に沿う谷間に家並が連なる旧宿場町らしいたたずまいであった。出桁の平入りという形が最も目立つが、妻入りのもの、玄関部が角屋のように前に突出したものなど様々な形が見られた。また洋風の構えを持つものもあった。宿場町の家並とはいえ、家々の間口は豪商宅のように広いのも特徴で、玄関の横に武家の門のような厳かな門を従えたものも見られた。
 地区では町並や建物を意識している色が窺え、複数の古い建物が登録有形文化財に指定されている姿を眼にした。小さい集落ながら質的には良いものが残されており、今後の動きを期待したい。
 

訪問日:2018.06.08 TOP 町並INDEX