原野・宮ノ越の郷愁風景

長野県日義村 <宿場町> 地図(原野)地図(宮ノ越) <木曽町>
 
町並度 4 非俗化度 8  -伊那路への分岐点でもあった木曽路の宿駅と街道集落-
 


 
 

原野の町並 短い区間ながら連続性の高い家並が見られる 


 


 中山道木曽路はほぼ全区間木曽川の狭い谷間となっているが、この原野・宮ノ越付近は比較的開けたところで、谷間というよりはむしろ小盆地という印象である。
 原野地区の旧街道沿いの家並は木曽川の河岸段丘上に伸びており、国道19号より一段低い位置にある。街道から更に木曽川に近いあたりに中央本線原野駅があり、この付近から北側に街道集落が展開する。トタン屋根に覆われた家々が短区間ながら連続性を保っており、街道集落らしい風景が残されていた。いずれもせがい造りで軒が深く、この地域独特の構えを有していた。
 江戸期には周囲で薪炭の採取や木曽馬の牧畜が行われる一方、街道沿いには茶屋が設けられ旅人の小休止場となり、また店舗も集積したようだ。現在の家々を見てももと商店らしく一階部分が開放的なものが多い。
 



 
重厚な二階部分の構え 


 原野から北に中央本線の線路と絡みながら1km余り進むと、宮ノ越地区にさしかかる。ここは中山道の本宿が置かれ、江戸・京のほぼ中央に位置する。天保14年の記録では人口600名弱を抱え、本陣・脇本陣各1,旅籠21を有し、人馬継問屋場が2箇所あった。またここから東に木曽山脈の鞍部を越え伊那路に達する権兵衛街道が分岐し、元禄9年に峠が改修されて以後は往来が盛んになった。伊那節で「木曽へ木曽へと積み出す米は伊那や高遠の余り米」と唄われる米は、この権兵衛街道で運ばれたものだ。
 そのように宮ノ越は街道の拠点でもあり、また宿駅業務のほか大工や木挽、杣などの職人が多く、木曽大工の発祥地といわれ産業も発達した。しかしながら今歩くと、街道沿いには伝統的な建物が余り見られない。中山道木曽路の旧宿駅の町並としては最も旧来の姿が残っていないといえる。これは明治16年に発生した大火によるもので、町のほぼ全体を失う規模のものであった。その後一部は往時の姿に再建されるも、宿場時代の風情を取り戻すほどではなかったのだろう。
 そんな中、旅籠であった田中家が公開されており貴重な姿を留めていた。
 


 


 
宮ノ越の町並 
 

 
   

訪問日:2021.10.09 TOP 町並INDEX