神崎の郷愁風景

兵庫県神崎町【宿場町・在郷町】 地図 <神河町>
 
町並度  5 非俗化度 7  −播但国境近くに展開する町並−



 
神崎の町並 旧播但街道沿いに残る


 神崎町は播磨地方の北端、北に峠を越えると銀山で知られる生野に達する。
 中世には粟賀荘が置かれた土地である。古くから播但連絡の交通要地にあり、両国を巡るさまざまな合戦の舞台ともなった。一例を挙げると文明15(1483)年、赤松政則が1500騎を従えて但馬朝来郡を奪回しようと企んだが、峠で但馬兵に襲撃され300人以上が討死する事態に至っている。
 生野銀山は14世紀に本格的な採掘が始まっているが、江戸期以降その量が増加した。銀は飾磨港に運び込まれ海路大坂に送られており、播但街道が重要な位置を占め宿場が粟賀地区に置かれた。生野に近い位置にあったことから鉱山精錬用の薪炭もここから大量に供給されたほか、養蚕、ミツマタ(和紙の原料)、茶の生産など産業も発達し町として発展を示している。
 商業が発達していたことを象徴する風景が古い街区の中心に残っていた。間口の広く屋根の高い堂々たる入母屋屋根を持つ旧家があり、煙抜きの越屋根も見事である。この付近で街道がほぼ直角に曲がっており、街路の先を遮断するように存在するこの建物はもと造り酒屋で町のシンボルらしい存在感を示していた。
 このあたりから南側が宿場町であった粟賀地区で、所々に伝統的な建物が残っていた。現在残る家並の姿からは、宿場町というよりは商業町・在郷町といった方がふさわしく、家々の間口はやや広く入母屋の屋根を持つものもあって、建て方にも余裕が感じられた。
 旧播但街道沿いの各町では、明治になって建設された本格的な産業道「銀の馬車道」を前面に出した取組が行われており、町中にはささやかながら案内する施設も設置されていた。
 












訪問日:2014.04.06 TOP 町並INDEX