橋本の郷愁風景

和歌山県橋本市<商業都市> 地図
町並度 6 非俗化度 10  −紀ノ川水運の拠点に開けた商業都市−




中心部の西半分にあたる東家地区には、旧伊勢街道沿いを中心に古い町並が残る。立派な長屋門を持つ旧家も見られた(右の写真)。
 

 橋本市は和歌山県北東端の紀ノ川沿いの町である。南海電鉄によって大阪とのつながりが深く、町の北側には大規模な住宅団地が造成され、完全な通勤圏となっており、人口も増加を続けている。和歌山線で和歌山市に向うより難波までの所要時間が短く、また大坂までに要する時間も和歌山市より短い。
 しかし市街地は非常に古びた、鄙びた佇まいが連続し、大都市通勤圏とは思えない町並が展開していた。
 町の中心部を東西に横断するのが旧伊勢街道で、この道沿いに伝統的な町家建築が数多く残っている。平入り、背の低い二階建、虫籠窓、そして時に袖壁が見られるそれらの姿は、奈良盆地などで見られるのと同様の典型的な近畿地方の町家の姿を示し、古い町並として申し分ない風格が漂っていた。ただ残念なのは東部ではアーケード付の商店街となっており、せっかくの町家が包み隠されていることが残念である。
 この商店街も、アーケードは骨組だけの残骸となっていて、開いている商店も少なく、もはや機能していないようであった。買い物なら郊外型の商業施設、さらには大阪まで出かけるのだろう。地方都市の地場の商店街が衰退する様を目の当たりにするようで、歩いていて侘しい気分になる。
 素材は古い町家である。看板やアーケードの隙間から格子や虫籠窓が見えている。商店街として成立たないなら、これら町家の再生によって、市街中心部は再び着目される町となると思う。今後の取組を待ちたい。
 西に外れた東家地区では本来の古い町並がよく残っている。一部では長屋門を従えた邸も見られ、かつては政治的権力も持つ町であったようだ。
 
 




東家地区の町並




古い町並の東半分は商店街となっておりせっかくの町家が隠れている。
 


 
 橋本は紀ノ川水運最大の拠点だった。高野山への年貢米の輸送にはじまり、近世になると和歌山藩はここに船番所を置き物資等の改めを行い、大和方面に遡行する船は全て荷を別の船に積替えさせていたという。当地を行き来する船は一日300隻にも及び、必然的に商業が発展していった。特に塩の問屋が多く、赤穂などから紀ノ川を遡って運ばれてきた塩は、特権を得て販売され、河内南部から大和南部にまで及ぶ広い地域を商域としていた。享保年間(18世紀前半)の記録ではこの橋本に商家80軒を数えたそうで、今の静かな町並からは想像すべくも無い。
 また伊勢街道と高野街道が交わる地点にもあったため、門前町的な役割も大きかっただけでなく、藩主の参勤交代の通行にも使われるなど、街道集落としての重要性も高かったという。高野街道はここで紀ノ川を船で渡らねばならず、渡しの宿場的な賑わいもあったのだろう。
 この町ではとにかく、商店街としては余り機能している様子は窺えず、ここを再整備して町家の魅力を引出してはどうだろうかという思いを強く感じた。


※他サイトでの情報によりますと、現在では少なくとも商店街のエリアは再開発事業により大規模に家屋が取り壊され、古い町並が失われている模様です。【2013.08.23追記】

※参照記事: http://ec-02.asablo.jp/blog/2013/08/18/6950580(NZさん運営 「まちなみ街道」 2013.08.18の記事) 


訪問日:2006.04.30 TOP 町並INDEX