柱島の郷愁風景

山口県岩国市<漁村・農村集落> 地図
町並度  5 非俗化度 9  -趣の異なる三集落が展開する島-
 


 
柱島港の風景
 柱島は岩国港より客船で約1時間、位置的には周防大島の北東、倉橋島の南西といったところにある。この付近から松山市沖にかけての海域は非常に島が多く、柱島は一時松山沖の忽那諸島の一部とされた時期があった。確かに地図を見ると、この島は周防大島から松山沖に至る一連の群島の一部と捉えることもできる。 
 



 
港背後の集落風景 
 

 

 半農半漁の島で、全般に平地が乏しく、また岩がちの瘦せ地のため作物は限られ、多くは漁業を兼業していた。近海で鯛、メバル、エソなどを獲った。また三反五町ほどの塩浜があり、それらで生計を立てていた。近年は蜜柑栽培も盛んに行われている。
 藩政時代はもっとも僻遠の地にあることで、岩国藩の流刑地ともなっていた。
 集落は島の東岸に立地し、客船の発着する港付近を中心に家並が見られる。海岸線に沿ってというよりは平坦な箇所を求めて展開している。構成する家々は、銀瓦を載せ小路・路地上に並んでおり、一部には入母屋屋根をもつ家屋も見られる。土蔵をや離れを従えるものもあって、漁村というより農業集落の雰囲気がある。最も高い位置には立派な寺院があった。
 またこの中心集落の北側には、内陸の台地上または等高線に沿って集落の展開が見られ、そのことからも島の生業が漁業中心でないことがわかるが、海岸から随分離れた標高100m程度の地であり、このような小さな島では珍しい集落の展開と言えるだろう。またそこから再び海岸に降りると、小さな漁港を従えた松田地区がある。島の集落の展開は大きくこの三箇所といえる。
 釣りや夏のレジャーなどの需要があるようで、港付近には幾つか旅館の構えもあった。しかし、近くの黒島・端島とあわせ柱島諸島と呼ばれかつては1000人以上の人口があったというが、現在は3島でも250人程度、その中で柱島は最も大きいとはいえ、医院はなく週1度の出張医療に頼る状態となっている。
 なお、付近の海域は戦時中柱島泊地と呼ばれる戦艦の停泊地となっており、戦艦陸奥爆沈の現場ともなった。


 
 

内陸部に固まって展開する集落 
 

 


 
内陸部の集落  松田地区の港風景 

訪問日:2022.05.29 TOP 町並INDEX