波照間の郷愁風景

沖縄県竹富町【農村集落】 地図
 
町並度 7 非俗化度 5 −黒潮の只中に浮かぶわが国最南端の集落−










 波照間島は八重山諸島に属し、西表島の南約30kmに位置している。人の住む島としてはわが国の最南端で北緯24度、北回帰線に近く夏至の頃は日中ほぼ影が消滅する。
 北赤道海流がフィリピンの東で反曲して黒潮となり、国土では一番先にこの波照間島に達している。そのこともあって周辺の海域は荒れることで知られており、定期船が欠航することも少なくない。私が訪ねたときは比較的穏やかな気圧配置であったが、それでも西表島の南で外海に出るとうねりが高く高速船は大きく揺れた。
 その一方で島の風景はきわめて穏やかで長閑な風景が展開していた。珊瑚礁が隆起して形成された島で、海岸から緩やかな坂となり、島の中心の起伏が少ないところに集落がある。名石・前・南・北という4つの集落があり、独特の町並景観を示していた。まず通りは密度の濃い福木の植え込みが連なり、母屋の姿が眼にしにくい。これは台風対策で風雨に強い南方性の常緑高木で、沖縄では街路樹にも採用されているほどよく眼にする。そしてその生垣を縁取る塀は琉球石灰岩という珊瑚の化石である。福木と琉球石灰岩による本格的な生垣がこれほど密度濃く残っている例は少なく、八重山の原風景的な集落風景が残っているといえる。
 伝統的な家々はすべて平屋で、屋根はほぼ全戸が丸瓦を載せた琉球赤瓦であった。漆喰で厳重に間詰めされており、年月を経たものは特有の風合いがある。生垣を含めたこのような構造は、やはり台風に備えたつくりであることがよくわかる。一方で家屋そのものは開口部が多く、夏場の風通しに配慮した合理的な構造である。そのため母屋の前にはヒンプン(屏風)という目隠しの壁が立てられている場合が多いが、ここではごくわずかしか確認できなかった。
 波照間島は外洋に浮かぶ孤島であるが、ハブなどの有毒動物が棲息しないうえ南方の諸国からは琉球諸島の南端の接点という位置にあることから、宮古・八重山諸島地区では比較的歴史が古い。王府時代は宮良間切に属し、17世紀の記録で600人余りの人口を有していたとある。かつては独自の民俗芸能や古謡も数多くあったというが、第二次大戦時に西表島に強制疎開されるなどして文化が薄れてしまった。戦後しばらくして製糖業が主産業として根付いて以後現在の姿となっている。集落の周囲は広大な砂糖きび畑となっていて、緩い坂道の先に水平線が見える風景はなかなか壮観である。
 集落ごとに共同売店という独自の店舗があり、それを中心にそれぞれの小さな生活圏がある。冬場でも照葉樹の鮮やかな緑の植え込みに覆われて、さまざまな野の花も見られ季節感を忘れさせるような集落であった。
 なお石垣島を拠点に簡単に日帰りが可能であるが、前に書いたように海が時化ることが多く、確実に訪ねたいなら予備日を考えておいたほうが無難だ。
 




ヒンプンの残る貴重な民家




集落の周囲には広大な砂糖きび畑が展開する

訪問日:2013.01.02 TOP 町並INDEX