林田の郷愁風景

兵庫県姫路市<城下町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 7 −姫路市北西郊の小さな城下町−

   




 
市街地の北部の六九谷地区 大きな町家が散在しており見応えのある町並景観が残る  




六九谷地区の町並 六九谷地区の町並




新町の町並 林田の町並(解体修理中の旧家)
 

 林田地区は現在は姫路市の一部であるが、古く奈良時代から林田郷、その後揖保郡林田村(→町)として昭和40年代前半まで独立していた。位置的には市域の西北で龍野市に近い。
 奈良時代には賀茂別雷神社(上賀茂神社)の荘園の一部であった。
 江戸期には当初姫路藩の領域であったがその後元和3(1617)からは林田藩という独自の藩組織を発足させ、廃藩置県に及んでいる。中世に築城された林田城を利用して尼崎城の建部氏が入城して町を整備している。1万石知行の陣屋格の城で、現在の林田の町も城下町より陣屋町というに相応しい。
 市街地の姿は城下町風の碁盤目ではなく、街道集落的なものだったようで、今歩いても伝統的な旧家の見られるのは南北に伸びる一本道にほぼ限られている。ここには姫路と出雲とを結ぶ旧出雲街道が通っており、宿場的な要素もあったそうだ。産業は煙草栽培の他、この地域の特産である手延素麺「揖保の糸」の原料である小麦栽培や製粉業も発達していた。武家は全くといってよいほど残っていないので、現在に見る古い痕跡は、城下町を基礎とした商業町、街道集落の姿なのだろう。
 国道29号線の林田交差点を西に入って林田川を渡ったところが古い町で、俄かに街路が入組んでくるが、現在の林田中学校の辺りで防衛のための街路屈曲をこしらえていたらしいことが、その前後の家並の取合いから察せられた。町の南部では町並らしいものはほとんど現存していなかったが、一本道を北に向い国道を横切った「六九谷」と呼ばれる地区には古い町並の体裁が保たれていた。間口が実に広く本瓦を葺いていて、屋根には煙抜きの越屋根がかかり、それも本瓦をまとっている旧家。そのような豪壮な入母屋造りの町家などが残る一角は、絵になる町角風景であった。
 一方町の南端では、伝統的な町家が解体修理されている姿にも遭遇した。屋根をかけて基礎から大規模に改修中であった。
 
 



訪問日:2004.11.21 TOP 町並INDEX