平郡島の郷愁風景
−平郡東地区−

山口県柳井市<漁村>  地図
 
町並度 6 非俗化度 9 −柳井沖の2つの離島集落−

       




 
平郡東地区 左は着岸前の船からの風景
 

 平郡島は柳井市の南東約20km、位置的には周防大島の南側にある。柳井港から1日2往復の船便で結ばれている。集落は東端と西端の2箇所にあり、船は双方に寄港する。両者は陸路で移動することもできるが、島は東西に長いため14kmほどある。いずれも小さな集落が寄り集まっているが、平郡東・平郡西、または東浦・西浦と呼ばれることが多い。
 島名の由来は平安期に源頼朝に討たれた木曾義仲(源義仲)の子・平栗丸がこの島に落ちのびて暮らしたという伝説によるものともいわれ、また二つの集落で祖先が違うともいわれる。平郡東の寺に保管される坐像や平郡西の八幡宮の棟札は鎌倉時代のものであり、歴史が古いことは確かだ。
 周囲の海域は好漁場で古くから島民は漁業で生計を立て、特にタコは平群タコと呼ばれ有名である。

 ここでは平郡東地区の集落を紹介する。
島の東端、北岸に面して集落が展開、狭いながらも平地があり比較的平面的な立地だ。家々の特徴は黒板壁が多用されていることで、周辺地域との共通点はすくない特徴的な集落景観となっている。また瀬戸内海とはいえ南側の海域は大きく開けており、風波の影響を受けやすい地形であるため、石垣で防禦された家屋も見られた。
 また西側の羽仁と呼ばれる地区では、漆喰の塗屋造りや、入母屋屋根を持つ商家風の建物が見られる。中には棟が鍵型に連なった曲屋を思わせる家屋もあり、裕福な漁村であったことが感じられる。
 

 人口は平成7年国勢調査時に700人余りであったのが現在350人ほどと半減しており、高齢化による人口減少が深刻な状況である。いつまで集落として健全な姿を保てるか、その時期は少しでも遅いものであってもらいたいものだ。
 












黒板壁や石垣 町家風の建物など様々な集落風景が見られる


訪問日:2017.10.01 TOP 町並INDEX