戸田・福川の街道風景

山口県徳山市<街道集落> 地図(福川) 地図(戸田)<周南市>
 町並度 3 非俗化度 9  −旧山陽道に沿った町並−
 





福川の町並 右下は本陣の門
 

 新幹線で徳山駅を通過する前後、海岸部に巨大な工業地帯が続く一方で、山側には計画的に戦災復旧された市街地が広がっている。この付近の旧山陽道もほぼ町並としての原形を留めていないが、工業地帯が途切れる旧新南陽市域の福川地区あたりから、徐々に面影を取戻してくる。
 福川には山陽本線の駅もあり、その北側に県道を挟んで旧山陽道が道筋を残す。福川村は江戸時代初頭は萩藩領であったが、後に徳山藩が成立後は同藩領となった。村としての歴史は漁村の方が古いが、山陽道の往来が多くなってくると宿駅に指定され、東から東町・中町・中市・西町の4町が整備された。また本陣及び脇本陣も定められ福田家がこれを預かり、重要通行を受け入れた。また14頭の宿馬が常備され荷役に従事した記録がある。
 歴史的に一番価値のある遺構は本陣だが、現在は昭和48年に改修された門しか残っていない。その前後には時折直角に折れ曲る街路に沿って伝統的な建物も散見される。ただそれらは宿場町時代に遡るものではなく、またその他多くでは現代の町並に置換わっていた。
 山陽本線の駅ではその1駅西に位置する戸田だが、もう1箇所ここで紹介する旧戸田市はそれより1km余り西側、国道2号より一本北にこちらも明確に街道が残っている。戸田市は単なる街道集落に過ぎなかったが、名の示すように定期的に市が開かれ人や物の集結するところだったのだろう。藩政期は市の中心付近が徳山藩領で、他は萩藩領であった。何軒か大柄な商家が目に付くのが特徴で、連続性は低いものの歴史の古い集落であることを伝えるには十分のものがある。
 なお、両町並間にある夜市(矢地)地区にも部分的に伝統的な建物が見られる。これらは、線として歩き通すことでその歴史性をより感じることができるものだろう。




戸田(戸田市)の町並




戸田(戸田市)の町並 夜市(矢地)の町並

訪問日:2017.03.19 TOP 町並INDEX