飛騨萩原の郷愁風景

岐阜県小坂町<産業町・宿場町> 地図 <下呂市>
 
町並度 5 非俗化度 6  
−高山に対する飛騨南部の商都 飛騨街道沿いに町が発達−








 高山本線で下呂から北に2駅ほどの飛騨萩原。山峡地帯の多い沿線では比較的平地が広がり、市街地のたたずまいにも余裕が感じられる。
 中世初期には金森氏が諏訪城を築城し、城下町を整備した。城下町時代は一国一城令が出るまでのわずかな期間だったが、現在の市街地は比較的秩序立った街路形態で、その頃に既に形成されていたのかもしれない。
 豊かな平地を利用して耕作が古くから行われ、江戸期の石高は益田郡全体の1万1000石のうち、萩原は3500石余りを占めていた。しかし代官所への年貢米は絶対量が確保できないとし金納制が取られ、農民の生活は豊かではなかった。そこで農間余業として始められた養蚕が次第に盛んになり、いつしか主要産業として息づくことになった。益田糸・益田紬と呼ばれ各地に販売されていった。
 
 萩原が商業町として発達したのはこうした背景のほか、飛騨街道に宿駅が設置されたことにより、人や物の往来が増えたことも大きいだろう。問屋が置かれ人馬継立も行われた。物資が集まり、造り酒屋をはじめとした商工業も盛んで、高山に対して南飛騨の中心として位置づけられた。



 

 伝統的な建物は旧飛騨街道に沿い見られる。地元は町並景観を意識されているようで、造り酒屋や店舗等の建物は、外向きに整えられた外観が目立つ。延宝8(1680)年創業といわれる天領酒造、味噌醤油商、銘菓店などが現役であるというのは、今でも顧客に恵まれるだけの伝統に根ざしたものがあるからだろう。
 もと銀行の建物、理髪店など洋風の外観を持つ建物が散見されるのも興味深い。
 





訪問日:2017.07.16 TOP 町並INDEX