東一口の郷愁風景

京都府久御山町<漁村> 地図 
 町並度 6 非俗化度 8  −かつての巨椋池の堤防上に連なっていた漁村集落−
     


長屋門と塀が印象的な旧山田家
 

 東は宇治市、西は伏見区淀地区に挟まれた久御山町。商業施設や住宅地が展開し、都市郊外の風景が展開している。
 町域の北部にある東一口
(ひがしいもあらい)地区。難読というか珍読のこの地名は、三方が巨椋池に囲まれた土地で入口が一方向しかなかったことに由来するそうだ。
 現在、この池は干拓され姿を消しているが、巨椋池はかつて宇治川・鴨川・木津川・桂川などの河川が一度ここで合流し、淀川として流れ出ていた箇所であり遊水池の役割を果していた。古くは水上交通の要として港もあり、木材などの輸送などにも利用されていた。文禄期に豊臣秀吉による一連の河川改修・治水事業で宇治川の流れが変わり、また池の周囲に堤防が築堤されて河川本流とは分離された。そのため交通の要衝としての役割は終えたが、鯉や鮒などが多く獲れ、池畔の村々は漁業権を有していた。
 中でもこの東一口村は池の7割を占有する漁業集落で、かつての堤防上に連なっていた。現在も南北を河川に挟まれた堤体上に細長く展開しており、その時代の名残を留めている。宇治川側には大きな排水機場があり、巨椋池に由来する低湿地であることを示している。
 家々は思いがけず古い町並的な展開を示し、周囲の風景とはまったく雰囲気の異なるものだ。中でも立派な長屋門と塀を持つ旧山田家は登録有形文化財に指定され、ひときわ威厳を感じる建物である。巨椋池の漁業権を統帥していた旧家で、鯉・鮒・鰻・ナマズなどの漁を取り仕切った。
 
 その他の家々も虫籠窓を持つもの、土蔵を従えたものなど、漁村というより商業で栄えた町並の様相で、淡水の池とはいえ魚影も濃く、豊かな漁場により潤っていたのだろう。
 京都の市街地に近いところにありながら鉄道交通はおろかバスで訪れるにも余り便利でないところにあり、また川に挟まれた細長い土地であることで、古い集落の姿が保たれているといえるだろう。










    
訪問日:2017.09.02 TOP 町並INDEX