東岩瀬の郷愁風景

富山市東岩瀬【港町・宿場町】 地図
町並度 6 非俗化度 4 −加賀藩の港町と北国街道の宿場町を並存しつつ栄えた町−
 




東岩瀬の町並


 
近年までこの東岩瀬付近にはJR富山港線が延びてきていたが、最近になってライトレールという路面電車と郊外型鉄道を組み合わせた新しい形式の公共交通機関に生まれ変わり、注目されている。神通川の河口付近右岸、地図上では一見工業地帯ではないかと思わせるところに濃厚な歴史が古い町並としてしっかりと残っている。
 市が独自に町家の保存をしているらしく、町家の連なる通りは漆喰に梁組を浮き出させた独特の真壁を見せるたたずまいが高い連続性を保って連なっている。それらは例外なく袖壁を両妻部に有している。外観的には北陸地方で見られる一般的な姿ではあるが、特徴的なのは間口がきわめて広い豪商風の旧家が多くを占める点だ。小規模町家がチマチマと連なるのも町並景観にリズム感を与えて小気味よいものだが、それとは対称的に威圧・圧倒する雰囲気すら訪ねるものに与える。
 これらは主に廻船業で巨万の富を成した邸宅群である。中でも北前船と呼ばれた北国との交易船は、日本海沿岸の各地に船主の豪邸を見ることができるように、成功者には相当な利益をもたらした。この町を代表する屋号「四十物(あいもの)屋」の森家は江戸末期から奥州や蝦夷地との物資取引に本格的に参入した家で、肥料や昆布、数の子などを扱っていた。ちなみに肥料というのは全て魚肥(鰊粕)である。
 平入り、二階部分には出格子と真壁、登り梁と呼ばれる木材で支えられた屋根を持つ出桁(梁)造りを有し迫り来るような建て方、金具で装飾される袖壁など、この地方の典型的な姿を示す町家である。 ここは明治6年に大火に襲われ商家群は灰燼に帰したそうだが、その頃はまだ北前船の最盛期、商家の新陳代謝も促して勢いのある家が思い切り豪勢な建て方を競った。そのようなことも大柄な町家が集積してみられる理由なのだろう。
 これらの町家は、裏手が全てかつては神通川に面していて直接荷揚げ、荷卸が行われていたのだと言う。
 東岩瀬はまた宿場町でもあった。北国街道が地内を通っており、加賀藩により寛文2(1662)年に宿駅に指定されている。多くは加賀藩主の参勤交代のために機能していたといってよく、御旅屋(本陣)、問屋場が設置されたが旅人の往来も多く、港の繁栄と相俟って大変繁栄した町場であった。この地方で盛んに興っていた売薬をはじめ、船大工、鍛冶、酒造家から質屋、油屋など80種を超える業種の商人がこの界隈にひしめいていた。
 
 
 




代表的な廻船問屋・森家
 町並は予想外に整備された感じで、森家など公開された旧家を見学できる一方でやや観光地的に俗化した雰囲気が漂う。ただ一直線に連なる道筋に、袖壁の目立つ大柄な商家が建ちならぶ景観はなかなかのもので、町並として保存するに十分なものがある。歩を南に進めると素朴な古い町並もあり、また違った味わいがある。





南部にも素朴な古い町並が続いていた


訪問日:2008.06.07 TOP 町並INDEX