東桜島の郷愁風景

鹿児島市東桜島町<農村集落> 地図 
 
町並度 4 非俗化度 10 −桜島の噴火被害に常に直面してきた集落−

東桜島の町並

 

 鹿児島の象徴ともいえる桜島は、その壮麗な山容は見事だが我が国でも最も活発に活動している火山の一つであり、知られるように度々周辺に降灰被害を与えている。県内のコンビニは雪国のように外扉、内扉の二重構造となっているし、降灰の折には住民が集めた家の周囲や道路などの灰を集めてゴミ袋に似た「克灰袋」と呼ばれる黄色い袋に入れて収集するようになっている。これらのことは現地に足を向けないとなかなか知ることができないことであり、桜島の灰と戦ってきた鹿児島の人々の苦労の一端を知る思いがする。
 ここで紹介する東桜島地区は現在は鹿児島市の一部となっているが、戦後しばらくまでは東桜島村という独立した自治体だった。
 大正3年に発生した大噴火は九州本土との間を埋めて陸続きにさせ、島内は凄まじい降灰と噴石に覆われ壊滅的な状況となった。この東桜島地区においても、それまでは豊かな耕地が広がっていたところが、溶岩流と降灰で文字通り灰燼に帰してしまった。
 以後は鹿児島市に合併するまで零細な農漁村として推移したようだが、現在ここを歩いていると石蔵をはじめ石造の建物が目に付く。そして入り母やの間口の広い建物が所々に残っているのは、島内の拠点として大正の噴火以後、しばらく機能していただろうことを感じさせる。
 土蔵が多いのは噴石から家財などを守る知恵が生んだものなのかも知れない。この地方で採取される暖かい色合いの石を積み重ねた蔵は独特の風合いを醸していた。
 訪ねたとき、降灰もなく穏やかであったが、路肩にはどす黒い灰の堆積が見られる路地もあり、また印象的だったのが「避難壕」と名付けられた噴火時の避難施設であった。桜島の火山体を直接仰ぎ見る位置にあり、いざ大きな爆発が起きれば噴石、灰の直撃を受ける危険に常に晒されている土地であり、この建物に緊迫感を感じさせた。
 古い町並というのとは若干異なるかもしれないが、特殊な環境下の集落ということもあり取り上げることとする。
 








集落内数箇所に設けられている避難壕

訪問日:2014.01.03 TOP 町並INDEX