緒川の郷愁風景

愛知県東浦町【商業町】 地図 
 町並度 5 非俗化度 8  −江戸期の新田開発により利を得た町場が残る−




旧道沿いに残る緒川の町並


 


 東浦町は知多半島の付け根部分の東側を占め、近年になりベッドタウンとして人口が大きく増加している。
 古くには小川と書かれており、文明7(1475)年に水野貞守により小川城が構えられた。この世紀末頃から緒川と記されるようになったようだ。緒川に城が存在したのは17世紀初頭までと長い間ではなかったが、この地域で勢力を誇った水野氏の本拠地として位置づけられた。




 

 
 緩やかな丘陵の波打つ知多半島の地形は水利に乏しかったものの、この付近は古くから比較的農業が盛んだった。特に江戸後期になると尾張藩により農業が奨励され、この東浦周辺では遠浅の海岸を利用して新田開発が盛んに行われた。特に緒川新田はその規模も大きいものだった。農業生産の増加によりさまざまな商業も興り、知多地方でもともと盛んだった酒造業をはじめ、製塩・製糖、棉織物業などが行われた。
 国道366号線の一本山側に残る旧道付近を中心に古い町並が残っていた。板壁に被われた渋いイメージの家々が目立ち、現役の造り酒屋もあった。これらは商業町としての名残なのだろう。一部には長屋門を従えた敷地の広い邸宅も見られた。
 国道沿いには郊外型の商店などが出来、どこにでもある都市近郊の風景であったが、この旧道は全く雰囲気が異なる。歩いて数分の間で動から静へ町の趣が180度変る。それらが表裏一体として存在しているのは、大都市近郊地域ならではのものであるのだが、こうしたところでは古い方は存続が危ういのが常であり、事実解体予定となっているもと旧家も発見した。
 残念なことに、やがては町並から歴史を感じ取ることは困難になることだろう。今の内にしっかり記録しておきたい。
 






訪問日:2008.03.23 TOP 町並INDEX