奈良県東吉野村<街道集落> 地図 |
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鷲家(わしか)の町並 山深い谷間に開ける街道集落である | |
吉野地方の北東部、山間部の谷間に開ける鷲家地区には国道166号線が通過しており、三重県方面とを結んでいる。歴史の古い道で、吉野地方や紀州の庶民が伊勢参りをする折にこの道を通り、小規模ながら宿場町のような賑わいを示していたという。大坂商人などの通行も多く、現在の谷あいの小集落といった印象とは比較にならぬ殷賑があったのだろう。 特に和歌山藩主が参勤交代時に利用したことで重要度の比較的高い街道であり、藩主専用の宿泊施設である本陣も整えられていたという。ここが江戸期のほとんどの期間和歌山藩領であったことがそれを象徴している。 つし二階造りの平入り町家が比較的状態よく残り、端正な格子や二階部の木製欄干、虫籠窓が残る旧家もある。旧街道筋は国道とは川を挟んで対岸に残されているためある程度原形を保っているのだろう。町並の展開する規模はそれほどのものではないが、質感的に良いものが残されていた。 この鷲家集落は幕末の文久3(1863)年に攘夷派の浪士であった天誅組が、和歌山藩兵の固めるこの地に突入、最後は藩脇本陣にて討死した事件でも知られている。町並の所々にそれを解説する案内板が見られた。 |
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訪問日:2011.08.13 | TOP | 町並INDEX |
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