肘折温泉の郷愁風景

山形県大蔵村<温泉町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 5 −中世に開湯したという歴史深い山間の温泉街−





 肘折温泉は最上川の支流銅山川の上流域、谷間の小盆地にひしめくように温泉街が展開している。周囲を深い山地に囲まれたところにあり、冬期は豪雪に見舞われるところだ。
 






肘折温泉街の風景
 

 一説によると9世紀頃、旅の者がこの付近を訪ねた際僧に道案内を受け、その僧が崖から落ちて肘を骨折し、谷間の湯で湯治して快癒したと聞いたことによるという。温泉地名の由来とされ、泉質から骨折後の養生や打身などの外傷に効能があるとして、現在でも怪我の後遺症などの湯治に訪れる人も多いという。
 室町期には既に温泉場として知られていたとされ、それは霊峰月山登山道の肘折口が開発されたことも大きかった。宝永6(1709)年には12,000人余りの宿泊客があったとの記録もあり、参詣客・湯治客で大繁盛したことがわかる。
 江戸時代は藩が管理していた様子が伺え、湯治客は1日10銭の湯銭を納め、湯守と呼ばれた温泉場の管理を任された者が藩に年間三両の運上金を納付していたという。
 大正期に入ると掘削により湧出湯量も増え、観光旅館も立地し始め現在見る温泉旅館街の基が形作られた。しかし山間部の奥地にあることもあって、近年に至るまで交通の不便な土地であった。昭和40年代頃までは、茅葺の湯治中心の旅館も多く、秘湯的な雰囲気も保っていたという。 
 現在では周囲の市街地とは距離はあるものの、それほど苦も無く温泉街にたどり着くことが出来る。旅館街の佇まいも、一部では近代的な装いとなり都市近郊の温泉地と変わりない風情の一角もあった。しかし木造三階建ての旅館が狭い街路の両側に建てこんでいる風景、姫竹の水煮など名産の山菜や土産物を開放的な造りの店で売っている姿など、まだ素朴な山間の出湯といった趣も少なからず残っていた。洋風建築の旅館と郵便局が接して建っている風景も残っており、伝統に根ざした温泉場であったことを感じ取ることが出来る。 









訪問日:2012.08.13 TOP 町並INDEX