日方の郷愁風景

和歌山県海南市<港町> 地図
 町並度 5 非俗化度 10 −西廻り航路により物資の取引を行った紀州の港町−
 





日方の町並。近くの黒江が注目される一方で、極自然な古い町並が人知れず残っていた。
 

 海南市は和歌山市の南に接し、紀伊水道に面する町である。
 現在は市街地から海岸は遠ざかっているかに見えるが、古くは今の海南駅前付近まで深く海が湾入し、波穏やかな内海を形成していたらしい。この日方は、その湾の北岸に開けていた古い港町に起因する町だ。
 古くは日方浦と呼ばれ、干潟にも通じるその音は、「日方は干潟にして海辺沙浜の名なり」と『続風土記』にも記される。江戸初期の慶長期には既に2,500名もの人口を抱える大きな町場であった。遠浅だったこともあってか早くから干拓され、江戸の初期には早くも大規模な新田開発により湾が埋立てられ、同時に港も整備されていったのだろう。当時は先進的な近代都市の様相だったに違いない。
 港としては後背地としての「野上谷」一帯からの産物が集結された。また北西に隣接する黒江村からは、上質の漆器が産出され、それらを一手にこの日方浦から上方、江戸方面に輸出していた。さらには瀬戸内海から日本海沿岸に向う「西廻り航路」へ進出するものも増え、天保期頃には36隻の廻船を保有し、9軒の廻船問屋があったという。有事に藩に徴用される加子も65軒を数え、当時は若山(和歌山)に次ぐ町場であり、港町であったという。
 『紀伊名所図会』では「いつとなく市店出来せしより都会の津となり、あるひは大船をつくりて北海・東海にかよひ、万物を積み、交易してその利倍を得るいへ多し」と記す。
 紀勢本線の海南駅前は近代的な風景が展開するが、市役所付近から北、かつての入江を思わせる細い運河に沿う辺りから、古い家々が目立ち始める。漁師町を思わせる木造の簡素な建物もあるが、多くは漆喰の塗屋造り、袖壁などの特徴があり商業が栄えた古い町並の典型的な姿を示していた。中には土蔵や離れなどを何棟も持つ奥行の深い屋敷も見られ驚かされる。一方で細い路地が主体の町並であり、袋小路や裏小路の風景が多く眼に出来るのは、やはり狭い土地を最大限に利用した港町らしい佇まいである。
 





 漆器産業で栄え古い町並として有名になっている黒江に小高い丘を隔てて隣接しており、この町においてもそれは盛んで、職人も住んでいたという。しかし町の性格の基本は、黒江とは大きく異なるものであるようだった。明治期は蝋燭や傘も多く生産され西日本一帯に出荷されていたという。黒江が半ば観光地のように有名な町並になっていることが、逆にこの日方の町並を自然体のいい形で保存させる結果ともなっているようだ。



訪問日:2006.04.30 TOP 町並INDEX