日野の郷愁風景

滋賀県日野町【商業町】 地図
町並度 6 非俗化度 5  −近江商人の一大拠点−



間口の広い豪壮な旧家の多い日野の町並



 日野は湖東地方南部、蒲生郡の東部にあって、琵琶湖岸から奥まった位置にあることから現代の交通動脈からはやや軸がぶれている。幹線国道も近江鉄道の駅も町の中心から離れているため、市街地は非常に静かなたたずまいを残し、落着いた町並散策を楽しむことが出来る。
 市街地はおおよそ東西2km、南北1kmの範囲だが町並探訪はその南側にある近江商人館を起終点にするとよい。古い町並は、ここを中心に旧市街の南半分に主に残っている。




 

 
 バス通りとなっている東西に貫く町の中心街は商店が目立ち、滋賀県内に無数の店舗を展開するスーパーマーケットなどもあり、古い町の風情には乏しい。しかし東に向って歩いていくと次第に伝統的な家屋が目立ち、「萬病感應丸」の看板を掲げた正野家をはじめ、間口の広い、そしてあるものは塀を巡らせた屋敷の形を取る旧家も散在的に現れてくる。その姿は所狭しと軒を接する都市型の町並とは雰囲気が異なり、厳かさを感じさせる町並景観をしめしている。
 その横路地にも土蔵や塀の醸しだす風景が風情を感じさせ、小路に迷い込んで小さな発見をしながらのそぞろ歩きも楽しい。
 この町で最も町並として見応えを感じるのは南端部の大窪地区であろう。ここは細い路地のみが支配する一角で、塀を巡らした屋敷が連なり、それらの塀や、そして街路に対して直に面する家々の格子は弁柄が塗られ赤銅色を呈している。この大窪の小路の風景は独特のもので、一種の艶かしさを感じるような町並であった。
 日野商人という言葉が古くは全国に知られていたように、ここは近江商人の本拠地の一つ、数多くの豪商が息づいていた。中世には蒲生氏の庇護にあって各種商業が既に発達していて、大筒や玉薬など軍需品が産され、また製薬業も盛んで、日野鉄砲や日野売薬という言葉もあったという。製薬・売薬業者が町内に100軒以上もあったという記録もある。その他呉服や繊維商品などを全国各地に行商に赴いた。彼らは各地に出店を持ち、年に2ヶ月は郷里の妻子のもとに帰省する習慣があったという。関東地方へ出向く商人が多く、それを特に日野商人と呼んだのである。
 一説によると、東西の経済文化の違いから、上方の文化を東国に伝えることで商売が成立つという信念が、この日野商人にはあったようで、したたかな商人魂に溢れた当時の日野の人々の姿を想起させる。
 日野の商業活動は明治以降も衰えることなく、売薬・酒造・醤油醸造など各種商家が日野商人組合を結成し、国内にとどまらず朝鮮や満洲、ハワイなどへも出店を構える商家が多かった。昭和初期の統計では10軒に1.4軒の割合で他所に出店を構える商家があったというから相当なものである。
 今では田舎町の印象だが、大きな構えの邸宅が多いのはその頃に大繁栄した商家の名残だろう。
 




「萬病感應丸」の正野家 大窪の町並





大窪の町並 近江日野商人館(当日は休館日であった)

訪問日:2006.10.09 TOP 町並INDEX