檜原の郷愁風景

東京都檜原村【山村集落】 地図 
 
町並度 5 非俗化度 6  −兜造りの民家が特徴的な山村群−





 檜原村は都の南西部にある山村で、多摩川の支流秋川の上流域を占める。支流は南北二本あり、主な集落はその谷間に沿い展開する。
 
 中世は二本の秋川の間にある山地に檜原城があり、平山氏が統治するところであった。当時は後の甲州街道の前身となる街路が南秋川沿いから浅間峠を経て甲州上野原に達しており、交通の重要な地であったことがこの地に城を構えた理由であると考えられている。
 江戸時代は幕府領であり、支流が南北から合流するところに口留番所を置いた。既に物資や旅人の通行は新しい甲州街道に移っていたが、この旧道も古甲州街道として少なからず利用されており、幕府により厳しい交通規制が行われていた。
 産業としては豊かな山林資源を得て木炭の生産が盛んで、江戸初期には江戸市中に供給されるようになった。寛政元(1789)年の出荷量は13万俵以上に達しており、江戸で使われる炭は多くが檜原産であったが、後に下流の五日市に有力な炭問屋があらわれ、秋川の水運も押えて独占化したため、炭で生計を立てる多くの村民は困窮したという。




数馬の町並
  
 ここで紹介する集落はいずれも南秋川に沿い、木炭・木材の生産、或いは街道の往来により発達したものである。最奥部の数馬地区は集落の規模は小さいものの、独特の兜造りの大柄な家屋が散見され、一部は改装されて店舗などに利用されている例もあった。また人里(へんぼり)地区は谷間が広がったわずかな平地を利用して集落が形成されている。兜造りの屋根の妻部を見せた姿が並ぶ見事な集落景観も見られる。
 下流側の上川乗地区は古甲州街道が川沿いを分かれて浅間峠への上り口ともなったところで、街道集落的な側面も帯びていたと思われる。ここも同様に兜造りの民家が見られるが、前二集落に比べると大柄な建物が多く、厳かな雰囲気の商家風の旧家もある。街道の要衝にあったことがその理由なのだろうか。
 

  




人里の町並




 都内にありながら比較的観光客、探訪客の姿は少ないと感じられた。大きな観光地が無いからであろうが、それだけに素朴さを残す山村集落の姿が都市部に近い場所に残されており、その貴重性は高いものがある。
人里の町並




上川乗の町並

訪問日:2009.05.30 TOP 町並INDEX