日貫の郷愁風景

島根県石見町【在郷町・産業町】 地図 <邑南町>
 町並度 5 非俗化度 9  −小さいながらも街路の要 製鉄や山間の集落−

   




日貫の町並


 
石見町日貫地区は県の西部、西に峠を控えた小盆地にある。山峡の趣だが現在も幾つかの道が交差し、古くからの地域の中心的集落であっただろうことが推察される。
 江戸時代は津和野藩領で、ここを中心とした領土は日貫組と呼ばれていた。当初は郡奉行所配下の代官所が置かれたが、後に庄屋が地区を取りまとめた。藩の米蔵もあり周辺諸村の年貢米が収納された。った。さらに楮や茶、漆、桑、薪などが産出され藩に納められた。
 また一帯で盛んだった製鉄業も行われ、たたらと呼ばれる製鉄所が10箇所余りあったといわれている。
 嘉永14(1637)年の記録では1600人余りの人口を有していたといい、既に集落が形成され商工業も行われていたという。
 日貫川左岸に町並が展開し、小さいながらも密度の高い家並が展開している。赤瓦屋根と平入りの構造に統一され、商家町であったことを示しているようだ。立派な門を持つ邸宅もあった。
 橋向うの右岸側を見ると、ひときわ目立つ茅葺の主屋が目に入る。代々庄屋を務めた山崎家住宅で現在は町が所有している。地主でもありまた金融業を営み、明治18年山陰初の銀行である浜田銀行の取締役や頭取ともなっている。建物としても屋根の茅葺が二段になっているなどなかなか特徴的な造りだ。数年前に葺き替えられるなど保存活動も適切に行われているようで、集落の歴史を語るものとして大切に守っていただきたいものだ。

 




庄屋を務めた山崎家

訪問日:2020.05.31 TOP 町並INDEX