平福の郷愁風景

兵庫県佐用町<宿場町> 地図 
 町並度 6 非俗化度 5  −川沿いの土蔵群で知られる因幡街道の町−








平福の町並


 平福は城下町から宿場町・在郷町へと変化して行き、現在は主に後者の面影を残す町並として知られている。
 城下町としての歴史は14世紀にまで遡るといわれ、川を挟んだ標高373mの利神山に山城が築かれた。後に天守閣が建てられ、別名雲突城とも呼ばれるほどの典型的な山城であった。江戸初期の一国一城令により廃城になるまで、現在の町の基礎はこの城下時代に既に完成されていたのだろう。
 JR姫新線、最近になって建設された智頭鉄道の接続駅、そして国道の分岐点で中国自動車道も通る交通の要衝が示しているように、ここはかつて山陰へ向う因幡街道の宿場であった。
 現在の平福は、殷賑極まった時代は見る影もなく、清潔そうな山間の小集落といったイメージである。宿場時代の建物は多くが更新され、連続性はそれほど高くはないが、つし二階、出格子、袖壁、虫籠窓などの町家形式の造りがみられ、軒下の幕板のある旧家、ブッチョウ造りという床几を備えた商家スタイルの家も残る。元禄年間より操業を続ける醤油商もある。在郷町として近隣の商業の中枢でもあったことを示している。
 この町はまた街路の東側を流れる佐用川沿いの土蔵景観をもって語られることが多い。その光景は素朴でありながら温か味に満ちており、風情のある景観としてここを訪れる人に愛されている。街道沿いには清い水が流れており水草なども繁り、住民が物を洗っている姿も見られた。この町並を現存度以上に印象深い物にしてくれる水のある光景である。
 古い町並を好んで訪れる人々には良く知られているが、一般的にはまだ知名度は低く、団体客もなく土産物屋もなく、近くの国道にある道の駅を訪れた客が流れて来る程度である。水情緒溢れる宿場の町並を荒されることなく守っていきたいものである。






佐用川畔の土蔵群は平福を象徴する風景だ

訪問日:2002.11.03
(2012.10.08再取材)
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