平磯の郷愁風景

茨城県那珂湊市【漁村】 地図 <ひたちなか市>
 町並度 4 非俗化度 10  −明治期には那珂湊を凌ぐ漁業の町であった−


 


 








 平磯町の町並
   
 

 平磯地区は那珂湊の市街中心から北に3kmほど、太平洋に面する漁業の町である。
 町の歴史は古く、湊村(那珂湊)とならび平磯村には水戸藩により舟庄屋が置かれ、漁業の取締りが行われた。漁港としては那珂湊よりも繁栄した時代が長く、特に明治期に最盛期を迎え鰹、鮪、サンマ、鯛、アワビや蛸など多種にわたる漁獲物が水揚げされた。特に幕末に当地で開始されたマグロの流網漁は、明治後期には全国の流網漁船の半数近くを占める130余隻を数えていた。
 また地名のごとく付近の海浜は平坦な砂浜または岩礁が連なり、潮湯による湯治や海水浴場としても賑わいを見せた。明治以降昭和初期にかけては関東一円から客が訪れ、最盛期には約30軒の宿があった。北関東の農家は農繁期を過ぎると湯治を行う習慣があり、一週間から10日ほど滞在していく客も多かった。
 海岸に沿う新しい道から一本山手の狭い道及びその脇道に古い町の姿が見られる。間口の広い立派な構えのものこそ少ないが、切妻の商店らしい佇まい、路地に土蔵や石蔵などを従えた御宅など面的に古い姿を残していた。今は新しい建物の比率も高いもののかつてはこのような建物で占められていたものと思われ、マグロをはじめとした漁業で潤っていたさまが伝わってくる。ただし、旅館や民宿などの宿泊施設は町中では眼に出来なかった。観光や湯治などの中心は現在も多くの旅館の見られる北側の磯崎・阿字ヶ浦方面であったのだろう。
 
 
 


訪問日:2023.03.31 TOP 町並INDEX